ガンバ大阪の詳細情報

正式名称ガンバ大阪
所属リーグJ1
国・ホームタウンアジア 日本 大阪 吹田市
サポーター数サポーター: 1089
コミュニティ登録者:343
ホームスタジアム万博記念競技場

最新の試合結果

Jリーグチャンピオンシップ 決勝 第2戦
2015/12/05(土) 19:30

次の試合予定

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ガンバ大阪の詳細情報・プロフィール

競技サッカー
ニックネーム、通称
ホームスタジアム万博記念競技場
法人名・運営母体株式会社 ガンバ大阪
代表者金森喜久男
住所大阪府吹田市千里万博公園3-3 万博記念公園スポーツ広場内
電話番号・FAXTEL: 06-6875-8111
FAX: 06-6875-7778
公式ホームページhttp://www.gamba-osaka.net
クラブカラーブルー&ブラック
ユニフォーム(第1)青/黒、黒、黒 (第2)白、青、白
マスコットGAMBA BOY(ガンバボーイ)
設立年月日
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クラブの概要・歴史

概要

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設時より加盟している10クラブのひとつ。

ホームタウンは大阪府吹田市。本拠地は、吹田市の万博記念競技場

クラブの前身は1980年創部の松下電器産業サッカー部。ホームスタジアムは万博記念競技場。同スタジアムの隣接地にある万博記念公園スポーツ広場内にクラブハウスと練習グラウンドがある。

Jリーグの中では自前の下部組織からの選手育成で成功しているクラブの一つで、万博のユース、ジュニアユース、ジュニアの他に、門真・堺の両市にスクール(両スクールともジュニアユースチーム、ジュニアチームがある)を設置している。下部組織を統括する部署の責任者は、育成普及部長である上野山信行。

クラブでは吹田市の周辺の北摂地方の市町村をホームタウン活動エリアと位置づけている。2005年の優勝報告会は、吹田・茨木・高槻の3市で行った。

歴史

1980年、前身の松下電器産業サッカー部として、奈良県社会人リーグ2部に加盟登録し、活動を開始。1990年度に天皇杯で優勝した。

Jリーグ創設時からの加盟チームの一つであり、当初は関西で唯一のJリーグクラブだった


かつての名選手釜本邦茂を監督に据え、永島昭浩・礒貝洋光・本並健治といった人気プレイヤーも抱えていたが、最下位争いの常連で成績は芳しくなかった。当時、ガンバは名古屋グランパスエイト浦和レッズとともにリーグのお荷物扱いであり、ハンス・オフトが日本代表監督を務めていた際には、Jリーグで唯一代表選手を輩出していなかった。更に第2ステージで7連敗を喫すると、フロントは同年限りで釜本邦茂の解雇を決定。

1995年は釜本の後を継いだジークフリート・ヘルト監督の下、第1ステージ序盤には初の首位争いを展開したが、その後失速して負け続け、8連敗も喫した。終わってみれば前年以上に悲惨な成績であり、第2ステージの更なる低迷もあって結局ヘルトは1年で解任となった。

ヨジップ・クゼ監督の初年度となった1996年も、ヴェルディ川崎に4 年目で初めて勝利したこと(この試合は前半にヴェルディに2点先制されたものの、後半に3点を返し、3-2で大逆転勝ちを納めたという試合だった)以外ファンを興奮させる出来事はなく、全体的に見ればチーム力は低いままであった。初の1ステージ制という状況の中、年間成績は初年度から参加の10チームの中で唯一、4年連続負け越していた(同じくお荷物として扱われていた名古屋グランパスエイトは21勝9敗。浦和レッズは19勝11敗で勝ち越しており、前年にはすでに躍進していた)。しかし、同年8月のプレシーズンマッチにてニューカッスル・ユナイテッドを万博に迎え、3-1と快勝している。


1997年、カメルーン代表のパトリック・エムボマを獲得。チームを一人で引っ張り同年得点王に輝いた。第2ステージにはチームとして当時最高の2位の成績も残し、初めて年間成績勝ち越しを達成したが、エムボマに頼りきった戦術は関係者やマスコミから多くの批判を受け、「エムボマがいないとガンバれない」と揶揄されることも多かった。エムボマがチームを離れるとすぐに下位チームに戻り、再び暗黒の時代を迎えた。

この頃、後に2000年代のガンバの主力となる、宮本恒靖稲本潤一大黒将志などユース出身の選手がトップチームに相次いで昇格している。


2000年、ガンバは第1ステージにおいて、優勝争いを繰り広げた[[セレッソ大阪]]とは対照的に13位と大きく低迷するが、第2ステージでは鹿島アントラーズと久々に優勝争いを繰り広げた。しかしアントラーズとの天王山で敗れて優勝の可能性を失うと、最終節ではジュビロ磐田に大敗した。

2001年には第1ステージは上位に食い込んだが、今度は第2ステージで低迷。2002年シーズンは第1・第2ステージ共に優勝争いに絡むが、どちらもジュビロとの天王山でことごとく勝てず、優勝を逃している。特に第1ステージの対戦では、一時は2点差を付けながらロスタイムに追いつかれ、延長で4-5の敗北を喫するという結果であった。

延長を廃止した初年度の2003年には、後半ロスタイムに幾度となく失点する姿が目立ち、終盤の集中力が幾度となく批判された。この年は、一時は降格の危機に立たされる羽目に陥ることとなった。2004年には上位チームに返り咲き、優勝争いに加わるが、やはり終了間際での失点癖や肝心な試合での黒星が目立ち、優勝することは出来なかった。

このようにほぼ毎年上位争いに絡むようになったものの、「終了間際に失点する」「天王山で勝てない」「終盤に失速する」「調子に波がある」といった状況を繰り返していた。優勝争いに加わったシーズンでも、どちらかのステージでは躍進するが、もう片方では低迷することが多く、調子に波があることの証明とも言われた。

また、2002年のコンサドーレ札幌や2003年のベガルタ仙台に対してのように、連敗記録を作っていたチームに久々の白星を与えるパターンも目立った。


2005年もリーグ戦、カップ戦とも快進撃を見せるが、宮本の負傷以後は調子がやや下降。11月5日に開催されたジェフユナイテッド千葉とのナビスコカップ決勝では0-0引き分けの末PK戦に持ち込むが、PK職人と言われていた遠藤保仁が1人目として外してしまうなどから、4-5で敗れ準優勝に終わる。

リーグ戦でも10月22日の大分トリニータ戦に敗れると、この試合以降1勝5敗と急激に失速。下位に低迷していた柏レイソル大宮アルディージャにも黒星を喫し、11月26日には、ナビスコカップで敗れたばかりの千葉に再び1-2で敗れ、残り1試合の時点でセレッソ大阪に抜かれ2位に後退。例年通りの結果を思い起こさせる展開で、多くのファンを失望させた。しかし最終節の川崎フロンターレ戦に4-2で勝利、勝点1差の首位だったセレッソ大阪がFC東京と引き分けたため、再逆転で悲願の初優勝を勝ち取った(大阪・関西のチームとしても初)。

優勝決定後、得点王となったアラウージョが2005年限りでの退団を発表、またチームでアラウージョに次ぐ得点を挙げた大黒将志もフランス2部リーグのグルノーブルへの移籍が決定した。

リーグ戦連覇を目指した2006年は攻撃力の低下が懸念されていたが、FWでマグノ・アウベス(前大分トリニータ)、播戸竜二(前ヴィッセル神戸)を獲得。更にMFで元日本代表の明神智和(前柏レイソル)を、DFでは現日本代表の加地亮(前FC東京)といった各チームの有力選手の獲得に成功。

マグノ・アウベス、播戸の2人で第33節の時点で合計41点を叩き出したこともあって首位・浦和に勝ち点3差の2位につけていたが、最終節の浦和との直接対決ではマグノ・アウベスの先制弾もむなしく2-3で敗れ、2連覇は達成できなかった。さらに勝ち点2点差であった川崎フロンターレが勝利したために3位に転落し、2007年のAFCチャンピオンズリーグの出場権も逃した。リーグ終盤戦において、チームの主力とされる遠藤が病気により欠場した事が響いたとされる。

遠藤が復帰した天皇杯では、Jリーグ加入後初(前身の松下電器時代を含めると16年ぶり)の決勝進出を果たしたが、再び浦和に敗北を喫している。なお2007年春のゼロックス・スーパーカップでは、浦和と2年連続で対戦し、マグノ・アウベスのハットトリックを含む4-0で勝利。見事に前年の雪辱を果たした。

2007年11月3日、2年ぶりに決勝に進出したナビスコカップで川崎フロンターレと対戦。 安田理大のゴールにより、1-0で見事に勝利を収め、同大会初制覇を成し遂げる。 主要3大会(J1リーグ、天皇杯、ナビスコカップ)において、二つ目のタイトルを獲得。

チーム名の由来

「ガンバ(GAMBA)」はイタリア語でサッカーの原点である脚を意味する他、日本語の「頑張る」とも掛けている。当初は松下電器のAVブランド(現在はグローバルブランド)として使われる「パナソニック」の冠を被せ「パナソニックガンバ大阪」としていた。なお加盟時に松下がユニヴァーサル映画を買収した時期と重なり、強そうなのでスティーブン・スピルバーグの名作『ジョーズ』から大阪城にも引っ掛け「大阪ジョーズ」というチーム名が有力候補だった。しかし当時、瀬戸内海にサメが出没する事件が社会現象となったことなどから、このチーム名は不採用となっている。

チーム成績・歴代監督

獲得タイトル

国内タイトル

Jリーグ年間優勝  2005年

ナビスコカップ  2007年

ゼロックススーパーカップ  2007年

海外タイトル

クイーンズ・カップ  1992年

パンパシフィック選手権(ハワイ)  2008年

個人タイトル

JリーグMVP

・2005年 - アラウージョ  2005年


Jリーグ得点王

・パトリック・エムボマ (25得点)  1997年

・アラウージョ (33得点)  2005年

・マグノ・アウベス (26得点)  2006年


Jリーグベスト11 ・パトリック・エムボマ  1997年

・稲本潤一  2000年

遠藤保仁  2003年、2004年、2005年、2006年、2007年

・大黒将志  2004年

・フェルナンジーニョ  2005年

・アラウージョ  2005年

山口智  2006年、2007年

・加地亮  2006年

・マグノ・アウベス  2006年

・バレー  2007年


フェアプレー賞 高円宮杯  2007年


Jリーグフェアプレイ個人賞 ・大黒将志 2005年


最優秀監督賞 ・西野朗  2005年

チーム記録

チームの特徴

チームの特徴

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胸 松下電器産業(Panasonic)

袖 ゼンショク(本格炭火焼肉 でん)

背番号 ロート製薬(ROHTO)

パンツ ミドリ電化(MIDORI)

マスコット

「ガンバボーイ」という名の雷小僧。 ゼウスの生まれ変わりという設定。ガンバって勝利を勝ち取る元気なサッカーボーイであり、雷の形の闘志あふれるエネルギーをその手につかんでいる。 Jリーグ開幕当初は、デザインイラストどおりギリシア風の衣装を着用するデザインであったが、1990年代後半頃からユニフォームを着用したイラストにほぼ全て変更された。ユニフォーム以外を着用しているものも少数ではあるが存在する。動物ではなく人間をモチーフにした数少ないマスコットの一つ。

チームのエピソード

サポーターの特徴

サポーターの特徴

著名人のサポーター

サポーターのエピソード

スタジアムとホームタウン

ホームスタジアム

万博記念競技場

ホームタウンー

大阪府吹田市

ダービーマッチ

同じく大阪を本拠地とするセレッソ大阪との「大阪ダービー」がある。

ユニフォーム

チームカラーは青と黒。 シャツは青と黒のストライプ。パンツ、ストッキングは黒。

下部組織

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