サッカー日本代表の詳細情報

正式名称サッカー日本代表
エリア・国アジア 日本  
サポーター数サポーター: 317
コミュニティ登録者:35773
ホームスタジアム

最新の試合結果

ワールドカップ 2次予選・グループE
2015/11/17(火) 20:30

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サッカー日本代表の詳細情報・プロフィール

競技サッカー
ニックネーム、通称SAMURAI BLUE
ホームスタジアム
法人名・運営母体財団法人 日本サッカー協会
代表者大仁邦彌
住所〒113-8311 東京都文京区サッカー通り(本郷3丁目10番15号)JFAハウス
電話番号・FAXTEL: 03-3830-2004
FAX: 03-3830-2005
公式ホームページhttp://www.jfa.or.jp/
クラブカラー
ユニフォーム(第1)青、白、青 (第2)白、青、白
マスコットカラッペ、カララ
設立年月日
サッカー日本代表の応援歌を見る報告

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サッカー日本代表(サッカーにっぽんだいひょう、サッカーにほんだいひょう)は、日本サッカー協会(JFA)によって編成されるサッカーのナショナルチームである。

FIFAワールドカップに3回出場し、最高成績はベスト16(2002年)。アジアカップでは3回の優勝を果たしている。アジアサッカー連盟および東アジアサッカー連盟所属。


概要

財団法人日本サッカー協会(JFA)によって編成されるサッカーのナショナルチーム。 会長(キャプテン)は川渕三郎。

悪質なファールなどが他国の代表と比べて少なくマナーが良いとされ、国際大会ではフェアプレー賞を何度も受賞している。

1993年にプロであるJリーグが開幕したことにより日本サッカーのレベルが格段に進歩し、1998年に初のワールドカップに出場してから3回連続で出場している。最高成績はベスト16(2002年)。アジアカップでは3回の優勝を果たしている。アジアサッカー連盟および東アジアサッカー連盟に所属。

歴史

1929年に国際サッカー連盟(FIFA)加盟。1936年のベルリンオリンピックにおいて当時の強豪スウェーデンに逆転勝利をおさめ、「ベルリンの奇跡」として日本サッカーの歴史に刻は日韓併合されており、メンバーの中には朝鮮人名前もあった。 1938年のフランス大会予選にエントリーし、オランダ領東インド(現在のjjjの大部分)との直接対決に勝てば本大会出場が決まる筈だったが、情勢不安により参加を辞退した。

戦後まもなくのうちは戦争に対する責任としてFIFAから除名されたが後に復帰が認められると、1954年のスイス大会で、初めてワールドカップ(当時のポスターには世界蹴球選手権と書勝1時間によjfjは敗れた。この予選敗退以降、初の出場(1998年)まで40年以上も待たなければならなかった。

一方オリンピックには出場し、1956年のメルボルンオリンピックには参加。1回戦で破れて大会を終える。 8年後の東京オリンピックには開催国として出場。ベスト8にまで進出する。なお、日本が対戦したユーゴスラビア代表にはオシム(元日本代表監督)もプレーしていた。

1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得。東京オリンピックに向けて60年あたりから強化を続けてきたことによる成功だった。しかし、この時期にほぼ同じメンバーのみ強化を続けてきたことにより世代交代がうまくいかず、日本サッカーは低迷を続けた。 そしてオリンピックも1996年のアトランタオリンピック出場まで予選敗退を続けた。

日本にとって遠い道程であるワールドカップが身近な物となったのは1986年メキシコ・ワールドカップ予選の活躍にあるだろう。1次予選を1位で通過し、2次予選では香港を破り、最終予選となる韓国戦へと駒を進めた。しかし国立競技場で行われた第1戦ホームでは10番木村和司のFKが決まるも1-2で惜敗。ソウルでの第2戦も123-8でこの敗戦によりアマチュアリズムの限界を悟った日本サッカー協会は翌1986年にスペシャル・ライセンス・プレーヤーの導入を決定した。事実上のプロ契約だったがアマチュアリズムへの意識が強い日本体育

初めて参加したワールドカップは3敗と世界との差を見せ付けられる形となった。

次のワールドカップは開催国のため予選免除。フランス人監督のフィリップ・トルシェが就任し、4年間かけてチームを作り上げた結果、2002年の本大会では予選突破を達成するなど開催地としての意地をみどの問題もあって ドイツワールドカップ終了後にイビチャ・オシムが就任。しかし体調の問題が起こり指揮を執るのが難しくなり、2008年度からは岡田武史が指揮を執ることになった。

ユニフォーム

基本色は黒を使用。サッカーのナショナルチームでは主に国旗の色を使っている国が多いが日本は違う。 なぜ青になったのかはさまざまな説があり、対戦の多いアジアのナショナルチームは赤のユニフォームが多かったので青にした、美しい海をイメージした、1930年代強豪だった東京帝国大学(現東京大学)からとったなどさまざまな説がある。

サブカラーは白である。第二次世界大戦の前後にかけては水色が使用されていた。1964年東京オリンピックでは上下白、1968年メキシコシティオリンピックでは白のシャツに紺のパンツとなり、1970年代以降は白と青が交互に基調とされるようになり、1992年からは青を基調としている。

また1988年から1991年の横山監督時代に、赤が採用されたこともあった。ユニフォームが赤だった当時に日韓戦が行われ、韓国が赤の変わりに第2ユニフォームとして青を使い、韓国が赤で日本が青というイメージを強く記憶にとどめていた外国人記者が韓国と日本を間違えて取材していたなんていうエピソードもある。

1992年以降また本来の青にもどり、現在も青が使われている。

年代別の代表チーム

国籍以外の資格制限がないA代表(国際Aマッチの成立要件となる)のほかに、派遣対象となる試合が選手資格に年齢などの制限を設けている場合などに、資格を満たす範囲で選手を選出しチームを編成する。このときは、日本代表という呼称の前に制限や派遣大会の名称等を関して、A代表との区別をする(ただし、正式にはA代表にも派遣大会名称を冠している)。


・U-17日本代表

FIFA U-17ワールドカップに派遣される日本代表。同大会の予選を兼ねたAFC U-17選手権は、実際には出場資格が16歳以下であるため、AFC U-17選手権に派遣される代表はU-16日本代表と呼ばれる。


・ユース日本代表

FIFA U-20ワールドカップ、およびその予選を兼ねたAFCユース選手権に派遣される日本代表。ワールドユースの出場資格が20歳以下であることからU-20日本代表とも呼ばれ、AFCユースはその前年に開催されることからU-19日本代表と呼ばれる。高校を卒業しJリーグクラブに加入したばかりの若手選手を中心に編成されるのが一般的だが、大学生やU-17世代が加わることもある。1999年のワールドユース選手権では、日本代表にとってFIFA主催の世界大会で初の準優勝という快挙を成し遂げた。


・U-21日本代表

出場資格が21歳以下であるツーロン国際トーナメントなどに派遣される日本代表。また、アジア競技大会の出場資格はオリンピックと同じ23歳以下(オーバーエイジ可)であるが、同大会をその2年後のオリンピック日本代表の強化試合と位置付けて、あえて21歳以下の代表を編成する場合もある。


・ユニバーシアード日本代表

大学生のスポーツ大会であるユニバーシアードに派遣される日本代表。選考範囲は原則として大学または大学院在学中、ならびに大会の前年に大学または大学院を卒業した選手に限られる。その他の大会で同じ選考範囲で選手構成がなされる場合は、学生日本代表や大学日本代表、もしくは学生選抜や大学選抜と断りを入れるなどをして呼ばれることが多い。ユニバーシアード日本代表は、1995年の福岡大会で初優勝、その後2001年北京大会、2003年大邱大会および2005年イズミル大会で3大会連続優勝を果たした。


・オリンピック日本代表

バルセロナオリンピック以降、オリンピック(サッカー競技)の予選および本大会では、原則として23歳以下の選手に限るという制約が設けられた。このため予選期間にはU-23日本代表(前年に予選が行われる場合はU-22日本代表)と呼ばれることが多いが、本大会では最大3人のオーバーエイジ枠を含むことができるため、オリンピック日本代表という呼称が用いられる。年齢に制限は無く、アマチュアのみに出場が許された1968年のメキシコシティ大会でオリンピック日本代表は銅メダルを獲得。