ヴァンフォーレ甲府の詳細情報

正式名称ヴァンフォーレ甲府
所属リーグJ1
国・ホームタウンアジア 日本 山梨 甲府市、韮崎市を中心とする全県
サポーター数サポーター: 192
コミュニティ登録者:78
ホームスタジアム山梨中銀スタジアム

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ヴァンフォーレ甲府の詳細情報・プロフィール

競技サッカー
ニックネーム、通称
ホームスタジアム山梨中銀スタジアム
法人名・運営母体株式会社 ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ
代表者海野 一幸
住所山梨県甲府市北口2-6-10
電話番号・FAXTEL: 055-254-6867
FAX: 055-253-1695
公式ホームページhttp://www.ventforet.co.jp/
クラブカラーブルー
ユニフォーム(第1)青、青、青(第2)白、白、白
マスコットヴァンくん
設立年月日
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クラブの概要・歴史

概要

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。1999年Jリーグ加盟。多くのJリーグクラブは、親会社である有名企業に頼っているが、ヴァンフォーレ甲府は、有名企業に頼らず地元山梨の会社など200社の小口スポンサーの支援を受けてチームを運営している。


以前、事務所は山梨文化学園が保有している3階建ての雑居ビルを間借りしていたが、2006年より山梨文化会館に隣接して新たに建てられた4階建のビルの3階と4階に移転し現在はそこを利用している。


ホームスタジアムは小瀬スポーツ公園陸上競技場である。サテライトリーグの試合は2007年現在、富士北麓公園陸上競技場と櫛形総合公園陸上競技場の2会場で行なわれている。

歴史

前身の甲府サッカークラブ(通称甲府クラブ)は、1965年に県立甲府第一高校のOBチーム鶴城クラブ(かくじょう―)が日本サッカーリーグ(JSL)昇格を目指して全国社会人サッカー選手権大会に出場する際に、他校出身選手も交えて設立された。(結果はベスト8) クラブは川手良萬の支援により運営されていたが、企業チームではなくれっきとしたクラブチームであり、選手は様々な職業の人間から成り立っていた。


1967年より関東社会人リーグに参加。1969年には全国社会人サッカー選手権大会において優勝(浦和SCと同時優勝)、JSLとの入れ替え戦に進出するも、日立製作所サッカー部(現柏レイソル)に2戦2敗で昇格は叶わなかった。翌1970年も同大会で準優勝し入れ替え戦に進出するもNKKに2戦2敗で敗れ昇格ならず。 1972年から新設されたJSL2部に参加。1980年と1981年は低迷し入れ替え戦に回るもののいずれも勝利し残留し続けた。


1986年には川手良萬の死去によりクラブの存続が危ぶまれた時期もあったが、支援者の資金協力により存続が決まった。 1992年のJSL閉幕時には、1972年の第1回大会から1991、92年の第20回大会まで、昇格も降格も消滅もせずJSL2部に所属し続けた唯一のチームとして特別表彰を受けている。 1992年からはリーグ制度改正に伴い旧JFL2部に参加。 1993年、旧JFL2部において10チーム中9位となり地域リーグへの自動降格の危機に陥ったが、甲府より上位に位置していたNKKとトヨタ自動車東富士FCがこの年を最後に廃部したためかろうじて入れ替え戦に進出。小瀬陸上競技場で行われた入れ替え戦において日本電装(現FC刈谷)に2-1で勝利し、翌年から1部制になる旧JFLへの残留が決定した。


1995年、チーム名を現在のヴァンフォーレ甲府に改称。1999年のJリーグ2部制発足に伴いJ2に参加した。歴史上、日本の社会人サッカーで「2部」が発足して以来、常にそのカテゴリーへ所属し続けるという記録を2005年まで更新し続けた。


1999年よりJリーグにディビジョン2(J2)が新設されるため、それに参加することにあわせた準備を実施。山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場の改修、チームの株式会社化を積極的に行なった結果、1997年に1999年からJ2へ参加することが決定された。旧JFL最終年の1998年にはバロンや大柴克友らの活躍により過去最高の4位を記録。しかし無理な補強が災いし、この時から業績が悪化。シーズン終了後にリーグ得点王になったバロンがジェフユナイテッド市原へ移籍するなど戦力が大幅に低下した状態でJリーグへ参入することになった。


ライセンスの問題からそれまで指揮をとっていた塚田雄二にかわり勝俣進体制で1999年のJリーグ参入初年度を迎えたものの開幕10試合未勝利などチームは散々たる状態で、前年度の好成績が一転最下位に陥る。またスポンサー収入の激減や観客の伸び悩みにより業績は更に悪化。前年に続き大柴克友ら主力を放出せざるを得なくなる。2000年には塚田が監督として復帰したもののチーム状況は前年以上に悪化しており、第5節から第32節にJリーグ記録の25連敗を記録するなど2年連続最下位に終わる。さらにこの時J2に降格していた[/club/浦和レッズ 浦和レッドダイヤモンズにホームジャックされる等観客動員も惨々たるものでユニフォームスポンサーも胸は2年連続なし、背番号も秋にようやく決まる等収益は数千万程度しかあげられずシーズン終了後、ついに債務超過になりチームが存続危機に陥る。


条件付で2001年の参戦が決まったチームはブラジルの名門チームパルメイラスと提携を結び、ヘイスを監督に据えて戦うものの、98失点というJリーグ最多失点記録が災いし3年連続最下位に終わる。しかしこの年に社長へ就任した山日YBSグループ出身の海野社長による経営改革やサポーターの努力もあり、上記に挙げられた存続条件は3条件ともに見事にクリアされ、またJ参入3年目にして初めて単年度黒字を達成したため2002年度以降のチームの存続が決定した。2002年はパルメイラスにかわりJ1チームの清水エスパルスと提携を結ぶ。世界的イリュージョニストとして知られる二代目引田天功(プリンセス・テンコー)がスポンサーに就任したことで話題になった。成績的にも、この年に就任した大木武監督の目指すプレースタイルが浸透し始めた後期から徐々に上昇。12チーム中7位に入りJ2参加から初めての最下位脱出に成功する。


2003年は好成績を残した大木監督が退任し、再び低迷するのかとの不安も囁かれたが、かわりに指揮を執る松永英機監督により昨シーズンのプレースタイルを継承する形でさらにチーム力は向上、結果として2002年以上の成績を残した。また、元日本代表の小倉隆史が加入し、大きな話題ともなった。2004年は小瀬競技場の芝改修により開幕後1ヶ月使用できず、このためスタートダッシュに失敗。それでも甲府へ復帰したFWバロンの活躍もあってその後成績は向上し、前期は3位で折り返す。しかし7月31日を最後にそのバロンが鹿島アントラーズへ移籍(厳密に言えばレンタルによる契約期間が終了)。さらに他の主力選手の負傷離脱も相次ぎ、チームは失速。シーズン終了後松永監督は責任を問われ解任される。翌2005年に再び大木監督が就任、2002年から培ってきた攻撃重視のプレースタイル(J2では珍しい)をさらに発展させた。大宮アルディージャから移籍したFWバレーがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、ベガルタ仙台と最終節までもつれ込む熾烈な3位争いを展開。結果最終節で3位に滑り込みJ1・J2入れ替え戦への出場を果たし、柏レイソルとの入れ替え戦においても連勝し、J2初年度から3年連続最下位に低迷し「J2のお荷物」とまで言われていたヴァンフォーレが、遂にJ1への昇格を果たした。


J1昇格初年度、限られた予算の中、元日本代表の[[林健太郎]]等を獲得し、身の丈に合った補強を行ないJ1初のシーズンを迎える。初戦こそ清水エスパルスに敗れたものの3戦目の川崎フロンターレ戦でJ1初勝利を挙げると横浜F・マリノスや鹿島アントラーズ、ガンバ大阪などの強豪チームに勝利するなどホームゲームでは予想以上の健闘を見せる。一方でアウェーにおいては3 勝しかできなかった上大差で負けることが多く、これが影響してJ1に残留するものの18チーム中15位に終わった。そのシーズン終了後に昇格の立役者バレーがガンバ大阪へ、7年間甲府の主力としてプレーした倉貫一毅が京都サンガへ移籍。更に5年間プレーしたアライールが契約を更新せず退団等各ポジションの要を失なってしまう。2007年はブラジル全国選手権で得点王にもなったことがあるアルベルトやオリンピック日本代表の経験をもつ増嶋竜也が新たに加入(いずれもレンタル)。しかしシーズンオフに抜けた主力3人の穴を埋めることができず、開幕直後は4連敗を喫し、その後は4勝1分で乗り切った時期もあったがゴールデンウィーク明け頃から連敗を重ね、第16節のFC東京戦においては不可解なジャッジに茂原岳人と林健太郎がトラブルを起こし出場停止を喰らうなど不安定な状況が続く。前半戦終了後に羽地登志晃とラドンチッチを獲得し後半戦の巻き返しを図ったがともに途中から試合に出る機会すら減り、プレースタイルもパス回しばかりでシュートすら打てないという攻撃的サッカーとは程遠い状況に陥ってしまったため再び連敗を重ねてしまい、11月24日のJ1第33節で柏レイソルに2-1で敗れたことによりJ2降格が決定した。大木監督は退任し、イビチャ・オシム(元千葉及び日本代表監督)やジャーナリストに賞賛を受けた甲府のサッカーは本年で区切りをつけることとなった。

チーム名の由来

フランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で、現在の甲府市内に本拠を置いていた戦国時代の甲斐国主で、郷土の象徴的人物でもある武田信玄の旗指物「風林火山」にちなんでいる。

チーム成績・歴代監督

獲得タイトル

国内タイトル

海外タイトル

個人タイトル

チーム記録

チームの特徴

チームの特徴

スポンサー

<ユニフォームスポンサー>

サプライヤー アンブロ

胸 はくばく

袖 ジット(JIT)

背番号 東京エレクトロン

マスコット

ヴァンくん

甲斐犬をモチーフにしたキャラクター。2006年6月12日誕生。デザイン・名称共に一般公募により決められた。

フォーレちゃん

チームのエピソード

サポーターの特徴

サポーターの特徴

=== 著名人のサポーター === レミオロメン

サポーターのエピソード

スタジアムとホームタウン

ホームスタジアム

小瀬スポーツ公園陸上競技場

ホームタウンー

甲府市・韮崎市を中心とする山梨県全域

ダービーマッチ

ユニフォーム

クラブカラーは青。 シャツ、パンツ、ストッキングともに青。

下部組織

関連情報