大宮アルディージャの詳細情報

正式名称大宮アルディージャ
所属リーグJ2
国・ホームタウンアジア 日本 埼玉 さいたま市
サポーター数サポーター: 153
コミュニティ登録者:74
ホームスタジアム埼玉スタジアム2002NACK5スタジアム大宮

次の試合予定

次の試合予定が登録されていません。

大宮アルディージャの詳細情報・プロフィール

競技サッカー
ニックネーム、通称
ホームスタジアム埼玉スタジアム2002 ,  NACK5スタジアム大宮
法人名・運営母体エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ 株式会社
代表者渡邉誠吾
住所埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-20-1 大宮中央ビルディング
電話番号・FAXTEL: 048-658-5511
FAX: 048-658-5500
公式ホームページhttp://www.ardija.co.jp/
クラブカラーオレンジ
ユニフォーム(第1)オレンジ/紺、紺、紺(第2)白、白、白
マスコットアルディ (大宮市のマスコット的リス)
設立年月日
大宮アルディージャの応援歌を見る報告

大宮アルディージャのWikiWikiを編集する

概要

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。ホームタウンは埼玉県さいたま市(さいたま市の合併前は大宮市)。

1999年にJリーグ加盟。母体はNTT関東サッカー部。ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮

チーム発足当初から埼玉県内を活動拠点としており、Jリーグ発足時に埼玉県に進出した浦和レッズよりも埼玉県での活動の歴史は長い。現状ではJリーグトップクラスの成績・観客動員力を誇る浦和に知名度・観客動員力で及ばず、大宮主催の「さいたまダービー」でも浦和サポーターに観客席の大半を埋められてしまっているが、チームの強化と共にさいたま市外の県内各地にもファンを増やすべく努力を続けている。

練習場は主に志木市のNTT東日本総合グラウンドを使用するが、西区にある「秋葉の森総合公園」で練習する事もある。

JR大宮駅の京浜東北線2番線の発車メロディーに、大宮アルディージャオフィシャルソングである、「Vamos Ardija」が使用されている。

歴史

創部は1969年。当初、旧浦和市を本拠地にNTT(電電公社)関東サッカー部としてJリーグの前身の日本サッカーリーグ時代から参加している。リーグ制度の変化に合わせ、1993年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に参加。岡本隆吾、平本大介、小阪昭典など関東大学サッカーリーグ出身の選手をアマチュア契約(NTTグループの社員)で獲得したが、公益企業のプロスポーツクラブ保有に対する抵抗感などからプロ化は遅れ、外国人選手もいないチームは準会員申請も行わなかったこともあり、成績は低迷。

やがてJリーグが活況を呈し、地域貢献の一環としてのJリーグクラブ保有が社会に認知されるようになり、NTTも自チームのプロ化に踏み切った。埼玉県西部の川越市(川越運動公園陸上競技場)への移転などの可能性を絶ち、古くからサッカーの聖地とされた[[NACK5スタジアム大宮(大宮公園サッカー場)|大宮公園サッカー場]]の利用にこだわったNTT関東サッカー部は1998年に本拠地を旧大宮市に移し、チーム名を「大宮アルディージャ」に改称。1999年よりJ2に参加し、運営子会社として「NTTスポーツコミュニティー株式会社」が設立された。その年の7月にNTT本体が持株会社となり、現在はその持株会社傘下のNTT東日本が中心となって、NTTドコモ、NTTデータ、NTTファシリティーズ、NTTコムウェア、日本コムシスなどのNTTグループ関連企業18社が出資し運営している。


アマチュアからプロへの変化を導いたのは、旧JFL最終年の1998年途中から監督に就任したチーム史上初の外国人監督、オランダ人のピム・ファーベークだった。オランダ流のトータルフットボールを唱えながら、堅い守備陣と強力な外国人FWで勝ち抜こうとするスタイルは他チームの脅威となり、成績は上昇した。ただ、1999年は開幕から好調だったFWヨルン・ブーレが深夜の飲食店で暴漢に刺されて左眼失明の重傷を負い、引退を余儀なくされた。2000年にはコーチから昇格した三浦俊也監督が現在に至るまで大宮の特色となっている4-4-2のシステムを構築し、この年にJ2に降格していた浦和レッズとの「埼玉ダービー」では1勝3敗として、公式戦初勝利を挙げた。2001年には昇格請負人として加入したパナマ代表FWのホルヘ・ルイス・デリー・バルデスが大活躍し、前半戦を17勝3分2敗の首位で終えたが、バルデスがパナマ代表の試合で重傷を負ったために離脱(登録抹消)した後半戦は緊急加入したバレーの活躍も及ばずに9勝3分10敗と負け越し、最終順位は5位に落ちて確実視されたJ1昇格を逃した。この失速の責任を取って三浦は辞任し、チームはJ2の中位レベルに引き戻された。

2004年、3シーズンぶりに大宮で指揮を執った三浦は自分が作ったシステムを再び徹底させ、守備を重視した手堅いサッカーを志向した。夏場まではJ1昇格争いの一角に位置し、9月に川崎フロンターレの昇格決定を阻止してから勢いを付けた大宮はバレーや森田浩史らの活躍で11連勝を飾り、昇格争いから抜け出した。11月20日、地元・大宮サッカー場で開かれた水戸ホーリーホックとの対戦を3-1で制し、優勝した川崎フロンターレに次ぐJ1自動昇格条件の2位を確定させた。折りしもこの日は同じさいたま市を本拠とする浦和レッズの第2ステージ優勝が地元・駒場スタジアムで決定した日でもあった。


2005年シーズン、元ブラジル代表FWクリスティアンや、地元大宮出身のFW桜井直人、元日本代表MF藤本主税などを補強し、前半戦は強豪とほぼ互角の試合を演じた。

さらにナビスコカップではJ1・1年目にしてベスト8に進出するなど、旋風を巻き起こす勢いであった。 しかしリーグ戦で15試合6得点を上げていたクリスティアンが突如帰国しサンパウロFCに移籍するというアクシデントが発生。 前線の核を欠いたチームは攻撃の形を失った。 また、桜井をはじめ故障者が続出するなどチームは悪循環に陥り、7連敗。 一時は16位まで順位を下げた。 しかし降格争い真っ只中の第29節からは新戦力のレアンドロ、若林学らの活躍もあり怒涛の4連勝と持ち直し、第32節に15位以上が確定、J1残留を決めた。 また、このシーズンで優勝したガンバ大阪には2戦2勝だったほか、浦和レッズがホームの際のさいたまダービーに勝利するなど少なからずリーグを盛り上げた。

リーグの終盤戦での好調な勢いは天皇杯でも続き、同年のJ2優勝の京都パープルサンガや共にJ1残留争いを繰り広げていた名古屋グランパスエイト、リーグ戦では勝てなかった鹿島アントラーズと互角な戦いを演じ、見事ベスト4進出を果たした。

2006年は、DFに土屋征夫、波戸康広(前・柏レイソル)や、東京ヴェルディ1969からMF小林慶行、小林大悟、ヴィッセル神戸から佐伯直哉、FWには吉原宏太ガンバ大阪)、サウル・マルティネス(前・上海申花ホンジュラス代表)、GK江角浩司(前・大分トリニータ)など即戦力選手を大型補強し、上位進出も現実的に期待できる戦力が揃った。 また、シーズン途中から新たにFWロドリーゴ・グラウ(元横浜F・マリノス)も入団した。 しかし、マルティネスは不振のため4月末で解雇され、グラウはレンタル移籍であったが、本人の希望により契約延長せず、わずか3ヶ月での退団となった。 佐伯は大きな活躍をすることなく、アビスパ福岡へレンタル移籍となった(2007年に大宮復帰)。 シーズン終盤にはブラジル人FWのアリソンを迎え、チームの新戦力として期待されたがチーム浮上のきっかけとはならず、12位でシーズンを終えた。 シーズン終了後、守備の要で大宮のJ1昇格・勝利に大きく貢献したトニーニョが退団し帰国。また、同じくJ1昇格に大きく貢献した久永辰徳はレンタル終了に伴いアビスパ福岡へ、新加入だった土屋は家庭の諸事情により、ヴェルディへ完全移籍した。そして三浦監督は12月に退任。

2007年は、ピム・ファーベーク元監督の弟であるロバート・ファーベークが監督に就任。しかしリーグ前半戦、3勝7分8敗の16位(入れ替え戦圏内)と低迷した。その結果ロバート監督は解任され、佐久間悟強化育成部長が新監督に就任。その後もチームの調子は急浮上と行かなかったものの、残り1節の時点で16位のサンフレッチェ広島に勝ち点差3・得失点差11をつけ、どうにか15位でJ1残留となった。

2008年は、三浦元監督(第2期)退任時からオファーを出していた前・モンテディオ山形監督の樋口靖洋が監督に就任。

チーム名の由来

「アルディージャ(Ardija)」は、スペイン語の「リス (Ardilla)」を日本語話者が発音しやすいように変更したもの。リスは旧大宮市のマスコットであった。

スポンサー

胸 NTTドコモ(DCMX)

袖 富士薬品

背番号 NTT東日本(FLET'S光)

パンツ NTTコミュニケーションズ(NTT Communications)

マスコット

アルディ   モチーフは大宮市(現さいたま市)のマスコットだったリス。

ミーヤ   アルディのガールフレンド。

ダービーマッチ

同じさいたま市を本拠地とする[[浦和レッズ]]との試合が「さいたまダービー」と呼ばれている。