あの日、あの瞬間

  • 鴎人
    2019年08月13日 07:04 visibility230

 

 

今回、金色堂に行くという話をライダー仲間にしたら、日にちがあるなら、松島や海岸線の方を行ってみたら、と勧められ

 

 

 

旅のメインは済ませたので、そっちに向かうことに。

 

 

 

くそ暑いテントから這い出て、空を見ると

 

 

 

いつでも降らせまっせ!

 

 

というような空が広がっていた。

 

 

テントの夜は早い‼️

 

なので、必然的に朝も早い‼️

 

モーニングコーヒーを飲み、歯磨きして、身支度を整え、念のための雨準備をして(途中で止まって雨準備というのは面倒)、出発。

 

 

松島は二度目。とはいえ、訪れてから10年は経つ。

 

震災後初。

 

松島は、上の方から見たい、眺めたい場所ですね。平面では、イマイチ素晴らしさが伝わりにくい。

 

朝の散歩がてらウロウロしていたら、車より高い位置に津波到達ラインの表示。

目の前海だから一溜りもなかったろうな。

パッと見は、復興は進んでいました。

 

 

 

そこからは、南下。

 

 

ルート確認で地図を見ていたら、前回来たときの注意書きが。

 

全く記憶にないのだが、これから向かうとこは一度通っていた‼️

 

今日は、どの辺りまで行くかなぁ⁉️、どこで泊まるかなぁ、この空だとテントは無理かなぁと考えながら、走らせる。

 

 

 

 

もう国道はつまらないからと県道

 

 

 

 

 

 

ふと看板が目に入る。

 

 

後続車もあり、急には進路変更出来なかったので、しばらくそのまま真っ直ぐ走っていたけど、どうにも気になって、Uターン‼️

 

 

 

 

まだ開園していなかったが、時間まではあと少し。

 

 

 

 

 

周りは、復興工事の真っ最中⁉️荒涼としてました。

 

 

 

 

 

 

3月11日金曜日。

 

 

 

東日本大震災。

 

 

 

震災機構として、遺されていました。

 

 

この手の物って、外から眺めるだけというのが、多いが、実際に中に入れました。

 

 

この校舎の中に車三台が津波により押し込められていたそうです。

 

津波は二階まで到達。その痕もくっきりと残っていました。実際にそこにあった実物のロッカーに一本の茶色の線。それが津波の痕。

 

校舎の中は、一、二階はほぼ当時のまま、四階は、当時の状況を写真で紹介する部屋、街並みを模型で再現していたり、震災当時の状況の映像を流す部屋になっていて、語り継がれるようになっていました。

 

厳粛、厳正な気持ちになりましたよ。

 

時間があるなら、いや、作ってでも行くべき場所だと思いました。

 

 

金色堂がメインの旅ではありましたが、こちらの方が感じたものは、大きかったですね。

 

 

リアルタイムで体験したから、というのもあるのでしょうが、見世物ではないから、といのもあるのでしょう。

 

 

 

そこからの南下は、気持ちが違いましたね。

 

 

見るものの価値観が変わったというか。

 

今は、海岸沿いに大きな堤防を作っていて、海が見えず、海無し県出身者としては少し寂しくはありましたが、まったく見えないわけでもなく。

 

とにかくまずは、自然と共存しないとね。

 

 

ここまでは、時間的にも順調。

 

 

どこまで海岸線を行くか、相馬まで行こうかな、とも考えたが、地図の注意書きを思いだし、山に入る。

 

 

多少変わってはいたものの、注意書きの通り、気持ちの良い山道でした。

 

 

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