5年目の3月11日をむかえて。

いろいろなサッカーファミリーが、今日コメントを発表されました。

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2016年3月11日で、東日本大震災発生から丸5年を迎える。元イタリア代表FWのアレッサンドロ・デル・ピエロが自身の公式HPを10日付で更新し、以下のようにメッセージを綴っている。

 デル・ピエロは日本語で「東日本大震災を忘れないために…。日本の人々を襲った地震と津波の悲劇から今日で5年が経つ。この恐ろしい出来事の犠牲者を想い出す事は皆にとって義務だ。そして並外れた勇気と強さで立ち上がり、再建復興に取り掛かった日本の皆さんを賞賛し、あなた達から学ぶ事も…」と、メッセージを綴っている。


SOCCER KING より


ドルトムントでプレーする日本代表MF香川真司が、東日本大震災から5年を迎えた2016年3月11日にブログ(http://lineblog.me/kagawa/)を更新し、自身の想いをつづった。

 中学校入学と同時に、生まれ故郷の兵庫県を離れて宮城県仙台市に本拠地を置くFCみやぎバルセロナに加入した香川は、「東日本大震災から5年が経ちました。東北は自分の第二の故郷で、プロになるうえで一番大切な時間を過ごした場所です」と、東北に対する特別な想いを述べた。

 そして「僕が出来る事は、子どもたちに夢を与え、ともに活動をして行く事だと思います。これからも自分の出来る事を少しずつですが継続的にして行きたいと思います」と続けると、「震災後は毎年東北に行かせてもらっていて、2012年からはKIRINさんが行っている『JFA・キリン スマイルフィールド』の活動に参加させて頂いています。毎回小学校に行ってサッカーや運動をするのですが、いつも子どもたちからパワーをもらっています。サッカーをしたことがない子どもたちもいる中で、初めは消極的になってしまう子も最後には笑顔で楽しんで運動している姿を見ると改めてサッカーやスポーツの力を感じることができます」と、復興支援活動を通して、自身も子どもたちから力をもらっていると明かしている。

 また、「現在、復興支援プロジェクトの『チームスマイル』のアンバサダーに就任させて頂き、エンターテインメントを通じて東北を盛り上げていきたいと思っています」と今後も東北を支援していく決意を述べると、「僕が今サッカー選手としてプレーできているのは、東北での日々があったからだと思っているので、これからも継続的に東北のため、子どもたちのための活動をしていきたいと思っています」と締めくくった。<!-- /.paragraph -->

       

SOCCER KINGより


東日本大震災から5年が経過した11日、J3の福島ユナイテッドFCが声明文を発表した。

 福島の代表を務める鈴木勇人氏は「未曾有の東日本大震災から5年をむかえて」と題して声明文を発表。「日頃は福島ユナイテッドFCを応援いただきありがとうございます。未曾有の東日本大震災や原発事故から5年が経過しました。全国の皆様から頂戴した心温まるご支援やメッセージに励まされ 福島県は着実に復興に向けた歩みを続けております」と記した。

 また、「しかしながら、未だ夢や希望を見出し難い状況にあるのも事実であり スポーツの力で福島の元気を全国に発信することが私たちの使命です。2016シーズン。選手・スタッフ・サポーターがひとつになって 勝利をつかみ取り、皆様と感動を共有します。子供たちの笑顔と福島の誇りを取り戻し、より地域の活性化に つながるクラブづくりを進めてまいります」と13日に開幕を控えるJ3に向けての決意を示した。<!-- /.paragraph -->

       

SOCCER KINGより


レスターに所属する日本代表FW岡崎慎司は11日、東日本大震災の発生から5年を迎えるにあたり、自身のツイッター(@okazakiofficial)でメッセージを綴った。

 岡崎は、「東日本大震災から5年が経ちましたが、自分が出来る事なんて本当に微力だと思い知らされる」と自身の力不足を痛感しているという。「だけど、だからこそ全力で復興を願い、そして自分も出来る限りの行動を起こしたい」と被災地への支援を誓った。

 また同じくプレミアリーグで戦うサウサンプトン所属の同代表DF吉田麻也も自身のツイッター(@MayaYoshida3)を更新。英語で「(東日本大震災から)5年が経ちました。今も亡くなった人たちのことを思っています。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます」と綴っている。<!-- /.paragraph -->

       

SOCCER KINGより


あの時の経験があったからこそ、リオ行きの切符を勝ち取ることができたと思う」

 東日本大震災が発生した“3.11”を翌日に控え、U─23日本代表の手倉森誠監督が東京都内のJFAハウスで当時の記憶と現在の心境を語った。

 今から5年前、ベガルタ仙台を率いていた手倉森監督は「被災地の希望の光となるために」という言葉を旗印に復興の力となるべく奮闘し、2011シーズンのJ1リーグでチームを過去最高の4位に導いた。あれから5年。当時の記憶と経験を力に、今度は日の丸を背負って世界へ挑もうとしている。

「3月になると、いつも『自分自身が希望になれているのだろうか』と自問自答します。もしリオデジャネイロ行きを決めていなければ、仙台、そして東北の皆さんにどう思われるのかと考えたこともありましたが、実際にオリンピック出場を決めることができたので、今年はメダルを取ることで東北の皆さんに恩返しができる年になるとも考えています。今年の“3.11”はスケジュールの関係で仙台にいられませんが、復興への思いを胸に秘めてやっていければ、そして力を貸してもらってメダルを被災地に届けられればと思っています」

 下馬評の低かったU─23日本代表を素晴らしいチームマネジメントでリオ行きに導いた手倉森監督だが、その裏側では現在でも仙台時代の記憶を蘇らせることで自らを鼓舞しているという。

 当時を思い返して話をしているだけで「ジーンと来るものがある」という同監督は、「今でもたまに当時の映像を見返して自分を奮い立たせる時間を作っています。自分自身があの時に感じた思いは風化させないように、この仕事をやっていければ」と語る。仙台で戦った日々は、今でも自らの“原動力”として大切にし続けている。

「被災地の思いをしっかり汲んで戦った経験が今に生かされているんだなとつくづく思いますね。大きな仕事を乗り越えて結果を導き出せたし、だからこそ代表チームからオファーがあった。今回は『勝てないと言われた“谷間の世代”を背負わされて難しい』と言われましたけど、僕自身としては、あの状況でベガルタ仙台を率いたことのほうが難しかったと思っていた。あのシーズンは東北人にとっての本当に試練でしたし、自分自身の人間力も試されているんだなと。それを乗り越えてこそ人は強く、たくましくなれるし、ちょっとやそっとのことでは折れない人間になれる。十分に鍛えさせてもらったと実感しています。今は国民の皆さん、日本中のサッカーファンの思いを背負ってやっていますけど、仙台で十分に鍛えられたことで、『難しい』と言われたオリンピック出場を勝ち取れたのだと思います」

 被災地へ一つでも明るい話題を届けたいという思い、そして希望の光となることを自らのパワーに変えて――。5年目の“3.11”を迎えた手倉森誠監督が、リオデジャネイロ五輪でのメダル獲得を改めて胸に誓った。
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SOCCER KINGより


自分のできることを続けていこう。

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