1年後のブラジルの悲劇

  • viva
    2013年07月03日 06:17 visibility101

スペインの時代が終焉(しゅうえん)を迎えつつあることは、バルセロナの戦いぶりからも明らかだった。5年前の欧州選手権のような、3年前のW杯のような美しさは、ずいぶんと損なわれてしまっている。ボールを持ってから何をしようか考えるイニエスタ。ダイレクトとはほど遠いパス回し……以前のスペインであれば絶対に見られなかった場面である。この結果は、まったくもって驚きではない。ただ、いつか来る日だとはわかっていても、これほどの惨敗を目の当たりにすると、壮絶な滅びを目撃してしまった衝撃が走る。巨星が堕(お)ちる瞬間を見るのは、やはり切ないものだ。1年後、シャビが、イニエスタが、現時点よりスケールアップしていることは考えにくい。無敗記録が作り出していた彼らに対する畏(おそ)れも、これでずいぶんと損なわれたことだろう。無敵艦隊の時代は、終わった。勝ったブラジルは確かに強かった。しかし、彼らがこの試合で満天下に示したのは「スペインの倒し方」であって「ブラジルの勝ち方」ではなかった。前線からのプレスは見事だった。ショートカウンターの切れ味も天下一品だった。ネイマールの2点目は、カタルーニャのうるさ方を黙らせるに十分の、才能ある選手にしかできない類(たぐい)のゴールだった。
だが――。
06年W杯ドイツ大会終了後、オーストラリアを率いたヒディンクに話を聞いて、痛感させられたことがある。彼は、徹底して相手を研究していた。相手の良さを封じ込めるための知恵をフルに絞っていた。一方で、日本を率いたジーコがやったのは、とにかく自分たちの良さを出す、というやり方だった。つまり、ヒディンクは挑戦者で、ジーコは王者だった。ヒディンクはオランダ人で、ジーコはブラジル人だった。
翻って、今大会のブラジルはどうだっただろうか。彼らはブラジルとして戦い、ブラジルにしかできない勝ち方をしただろうか。
大会期間中、ブラジル各地でW杯や五輪開催に反対するデモが起きたという。ブラジルでさえ、もはやサッカーがすべての国ではなくなったのか……という無責任なほろ苦さは、ブラジルらしさの希薄な勝ち方であるにもかかわらず、熱狂するリオの観客を見てより強いものになった。
ブラジルでさえ、勝てば万々歳の国になってしまったのか――。 
来るべき本大会を、彼らは挑戦者ではなく王者として迎えることになる。立場が変わっても、彼らは前線からのプレスとショートカウンターに活路を見いだすのだろうか。この結末にほろ苦さを覚えてしまった最大の理由、それは1年後の本大会における悲劇の予感が走ったからでもある。

世界一の肩書きはブラジル国民がスペインを破り圧勝したことにより来年のワールドカップでの優勝を義務付けられた 自信過剰という毎度ブラジルが優勝できない要因でもある

ブラジル人でも分かっているのだがそれができない国民性というものだ


 

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