☆“読売巨人軍発祥の地”


 

 



 


関東地方も梅雨入りしたと思われます。これからじめじめとした気候が続き、また、省エネ対策としてエアコンの設定温度も高めになり、汗をかくことも多くなるでしょう。
そんな皆様に、汗を25%抑える方法が発見されたという朗報があります。汗は、皮膚の汗腺から分泌される液体ですが、右肩と左肩を結ぶ背中のラインに沿って制汗剤を噴霧することで、汗が25%抑えられるという研究結果が最近発表されました。
この線を医学用語では「制汗連絡船」、また、環境省研究班では「チームマイナス25」と呼んでいます(大汗)。
ゴルフ記念日の5/28、皆様御機嫌如何ですか?歴戦の雄です。


 



さて、本題です。

千葉県の北西部に人口約165,000人の習志野市があります。ほとんど報道されていませんが、習志野市も地震による液状化現象が起きた地区です。
その習志野市の谷津に、谷津遊園がありました。谷津遊園は、1982年12月21日に閉園となり、その跡地は谷津公園となり谷津遊園時代からあった施設内のバラ園が習志野市運営の谷津バラ園として現在も残っております。
この谷津こそが、我が読売巨人軍発祥の地であります。巨人ファンなら勿論のこと、野球ファンであれば一度は訪れてみたい場所です。
1934年秋、読売新聞の正力松太郎氏がベーブ・ルースなどアメリカ・メジャーリーグの一行を日本に招聘した。その相手をするために東京六大学の選手を中心に全日本チームが編成され、後にこのチームが母体となり巨人軍が誕生したのである。その全日本チームのために提供されたのが谷津遊園内のグラウンドであった。


 


以下、写真の碑文をご紹介いたします。



読売巨人軍発祥の地
正力松太郎


昭和九年四月正力松太郎氏は日本野球界の発展、健全娯楽の育成のため全アメリカ選抜チームを招聘することにした。昭和六年の第一回招聘につぐ二回目の快挙であった。ベーブ・ルース、 ルー・ゲーリック等一流選手が名を連ねる米チーム招聘の報が一度び伝わるや日本中は歓呼の声をあげて歓迎した。
これに対する全日本チームは六大学の名選手を中心に編成された。母校の名誉をかけて参加した日本軍選手は、この谷津の地に集結、ここを錬磨のにわとして、心魂を傾けて策を練り、技をみがいた。
かくして、日米両チームは東京をはじめ 全国各地を転戦、いたるところで爆発的熱狂の渦にまきこまれた。
滞日二カ月、米チームは日本野球界の発展に巨大なる貢献をしたばかりかプロ野球結成の機運を醸成して嵐の如く去った。
そして昭和九年十二月、この時の全日本チームを母体として東京巨人軍(後に読売巨人軍と改称)が誕生したのである。またこの誕生を契機としてプロ球団が続々と輩出し、今日の隆盛の一歩を築いたのである。
思えば再度にわたる米チームの招聘は偉大なる企画であった。もしこの企画がなかったならば、はたしてプロ野球の隆昌はあったであろうか。
思いなかばにすぎるものがあろう。
その意味において、その招聘プランはもとより、この地に集結した巨人軍の誕生は永く球史に記録されるべきである。
今回小社は、この地を読売巨人軍発祥の地として指定し、その経緯を後生に伝えるためにこの碑を建てた。
プロ野球の発展を祈念すると共に正力松太郎氏の卓見と努力に最大の敬意を表する次第である。
この碑は昭和41年に設置されたものを復元したものである。


昭和63年1月24日 習志野市


 


 


以上です。

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