☆全国中等学校野球史(32)~広島~

広島県で最も早く野球が行われたのは広島中(広島国泰寺)で、明治22年頃であった。同じ頃、広島師範でも野球が行われ、この2校が草分け的存在といえよう。明治30年には広島中が山口に遠征して岩国中(岩国)と試合をした記録が残っている。
この頃には、広島商、福山中(福山誠之館)、尾道商、呉中(三津田)、三次(三次)、日彰館中(日彰館)、修道中(修道)、明道中(廃校)、仏教中(崇徳)などで次々と創部された。
当時は広島中が最も強く、明治40年に開催された岡山の第六高等学校主催の近県中等野球大会で優勝している。
明治44年には広陵中(広陵)で野球部が創部され、大正に入ると広島中、広島商、広陵中が強豪校となっていった。
大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会の山陽予選には、広島中、広島商、福山中、明道中、修道中の5校が参加し、広島中が優勝し、記念の第1回全国大会に出場した。
広島中は初の全国大会の開幕試合に登場、正に高校野球の歴史の扉を開いた学校である。しかし、広島中はその後春夏通じて1度も甲子園出場がない。


初代表校
広島中(大正4年夏)(現・広島国泰寺)

初勝利校
広島商(大正5年夏)

最高成績
優勝

春夏通算成績
199勝139敗3分

最多勝利校
広陵 66勝





以上です。

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