☆全国中等学校野球史(27)~大阪~

大阪府で最初に野球部が創部されたのは、府立大阪尋常中学校(北野)で、明治26年のことである。続いて、明治29年に大阪府第五尋常中学校(天王寺)、明治30年に岸和田中(岸和田)、明治34年に堺中(三国丘)などで創部された。
明治34年に始まった第三高等学校主催の近県連合野球大会には、天王寺中(大阪府第五尋常中学校が改称)などが参加している。
さらに、明治時代には桃山中(桃山学院)、明星商(明星)、市岡中(市岡)、四条畷中(四条畷)、大阪商(大商学園)などでも創部された。
大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会の予選は、大阪・奈良・和歌山で開催される第3回関西学生連合野球大会が予選となり、大阪からは市岡中、八尾中、明星商、大阪商、大阪市立工の5校が参加したが、北野中と天王寺中は参加しなかった。尚、市岡中はその後1度も欠かすことなく予選に参加し続けている。
大正5年の第2回大会予選からは大阪は単独で代表を送ることとなり、大阪高等商業が主催して予選が開催され、市岡中が優勝し大阪勢として初となる全国大会に出場した。
大正6年の第3回大会予選では明星商が優勝し、以降大正14年までは市岡中と明星商が大阪の代表を独占した。


初代表校
市岡中(大正4年夏)(現・市岡)

初勝利校
市岡中(大正4年夏)(現・市岡)

最高成績
優勝

春夏通算成績
346勝216敗5分

最多勝利校
PL学園 96勝





以上です。

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