☆全国中等学校野球史(31)~岡山~

岡山県で野球か始まったのは明治18年頃で、東京帝大から岡山一中(岡山朝日)に赴任した新任教師が生徒に教えたのが最初とされている。
本格的な野球部の創部は関西中(関西)が最も早く、明治28年に同校で英語教師をしていた安部磯雄氏の指導により創部された。
明治30年には岡山一中でも創部され、明治40年には両校で対抗戦が行われた。
明治30年代後半には、津山中(津山)、高梁中(高梁)、矢掛中(矢掛)、金川中(金川)でも創部され、明治40年には第六高等学校が主催して近県中等学校野球大会が開催された。
大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会の山陽予選には、関西中のみが参加した。しかし、広島商に完敗した。
当時の広島県勢は全国でも有数の強豪で、岡山県勢が全国大会に出場するのは大正10年まで待たなければならなかった。


初代表校
岡山一中(大正10年夏)(現・岡山朝日)

初勝利校
岡山一中(大正10年夏)(現・岡山朝日)

最高成績
優勝

春夏通算成績
106勝109敗1分

最多勝利校
倉敷工 25勝





以上です。

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