☆静中・静商の天覧試合


1930年(昭和5年)5月28日から一週間、昭和天皇が静岡県を行幸された。
5月29日には、府城内の静岡中(現・静岡高校)のグランドで行われた、静岡中と静岡商の試合を観戦された。当時、天皇陛下が中等学校の試合を観戦するのは極めて異例のことで、その場の緊張は想像を超えるものであった。
陛下に選手全員の晴れ姿をご覧頂くため、打順は上級生からとした。試合は静岡商の先攻で始まり、二回裏二死、静岡中の打者がショート越えのヒットを放った直後、陛下が席を立たれたため、「気を付け、最敬礼」の号令とともに天覧終了となった。陛下の観戦時間は、当初3分とされていたが13分となった。
この天覧試合がきっかけとなり、両校の定期戦が行われるようになった。
写真は、天覧試合で静岡中が着用していたユニフォームである。

静岡高校は、1878年(明治11年)に静岡師範学校中等課として創立され、野球部は1896年(明治29年)に創部された伝統を誇る、文武両道の公立の名門校である。
その静岡高校は今年の春の選抜大会に出場が決まった。
静岡高校は近年でも度々甲子園出場を果たしており、全国の文武両道の公立校の鑑といえよう。
今年の春を含めると、甲子園には春15回、夏23回、計38回出場しており、これは春夏ともに静岡県最多で、夏は優勝1回、準優勝2回を経験している。
夏の予選通算成績は319勝75敗3分である。


今回は、現在も行われている公立高校の定期戦を歴史のある順に記述しておきます。

1900年から 仙台一・仙台二 (宮城)
1914年から 神戸・兵庫 (兵庫)
1930年から 静岡・静岡商 (静岡)
1942年から 酒田光陵・酒田東 (山形)
1947年から 下妻一・水海道一 (茨城)
1949年から 前橋・高崎 (群馬)
1953年から 沼田・渋川 (群馬)
1953年から 天王寺・夕陽丘 (大阪)
1953年から 嘉穂・嘉穂東 (福岡)
1954年から 岡山東商・倉敷商 (岡山)
1956年から 古川・築館 (宮城)
1956年から 戸山・新宿 (東京)
1957年から 帯広三条・帯広柏葉 (北海道)
1959年から 鶴岡南・鶴岡工 (山形)
1960年から 西宮・芦屋 (兵庫)
1961年から 鹿児島商・下関商 (鹿児島・山口)
1962年から 宇治山田・伊勢 (三重)
1963年から 白石・角田 (宮城)
1963年から 山形東・山形南 (山形)
1964年から 焼津水産・焼津中央 (静岡)
1966年から 都城泉ヶ丘・都城西 (宮崎)
1971年から 甲南・鶴丸 (鹿児島)
1971年から 嬬恋・長野原 (群馬)
1974年から 夢野台・御影 (兵庫)
1980年から 宮崎大宮・宮崎南・宮崎西 (宮崎)
1983年から 相馬・原町 (福島)
※震災、原発事故で中断していたが2014年4月より再開
1984年から 清水商・清水東 (静岡)
1985年から 太田・足利 (群馬・栃木)
1986年から 泉・泉松陵・泉館山 (宮城)
1986年から 湯沢・湯沢翔北 (秋田)
1991年から 東筑・小倉 (福岡)
1991年から 浜松商・浜松工 (静岡)
1992年から 錦江湾・武岡台 (鹿児島)
1992年から 鹿児島玉龍・鹿児島中央 (鹿児島)
1995年から 直方・鞍手 (福岡)
2005年から 古仁屋・大島北 (鹿児島)
2007年から 安積・安積黎明 (福島)
2008年から 篠山鳳鳴・柏原 (兵庫)





以上です。

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