☆和田新監督就任(予定)記念~我孫子高校~


 


我孫子←関東以外の方、読めますか?


 


千葉県の北西部東葛飾地域の利根川と手賀沼に挟まれた海抜約20mのなだらかな台地が東西に約14km、南北に約4km~6kmにわたってひろがり、南東部の手賀沼沿いと北西部の利根川沿いは平らな水田になっており、南東は印西市、南西は手賀沼をはさんで柏市、北は利根川をはさんで茨城県の取手市、北相馬郡利根町と隣接し、東京からは40km圏内に位置しており、JR常磐線と成田線、国道6号と国道356号が分岐する交通の要衝で、1970年代からはベッドタウンとして一部区画が開発され人口が増加し、江戸時代には水運が栄え、大正時代から昭和初期にかけては「北の鎌倉」とも称され、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなど多くの著名な文化人が居を構えたり、別荘を持っていた、人口約13万人の我孫子市に、千葉県立我孫子高校があります。


我孫子高校は1970年(昭和45年)に創立され、校訓は文武両道で、風光明媚な手賀沼のほとりに位置し、周囲の緑豊かな落ち着いた環境の中で、勉強とスポーツに取り組んでいます。


野球部も創立と同時に創部され、翌1971年(昭和46年)に夏の選手権千葉大会に初参加いたしました。
夏の選手権千葉大会における通算成績は、113試合74勝39敗、勝率.655となっています。


我孫子高校の夏の千葉大会通算勝利数74勝は、銚子商の233勝(銚子水産の勝利数を含む)、成田の212勝、習志野の169勝、市立銚子の156勝(銚子西の勝利数を含む)、市立船橋の148勝、成東の148勝、千葉敬愛の138勝、木更津総合の137勝、拓大紅陵の129勝、安房の122勝、東海大浦安の120勝、県立千葉の119勝、千葉商大付の112勝、専大松戸の108勝、千葉経大付の100勝、茂原樟陽の98勝(茂原農と茂原工の勝利数を含む)、横芝敬愛の98勝、県立船橋の93勝、千葉工の84勝、長生の82勝、君津商の81勝、佐倉の81勝、八千代松陰の80勝、印旛明誠の79勝、千葉英和の76勝、佐原の75勝に次ぐ成績です。


甲子園には、夏のみ2回出場し、甲子園通算成績は2勝2敗です。
甲子園初勝利は、1991年(平成3年)の一回戦で米子東(鳥取)を5-0で破っての勝利でした。
二回戦も、西条農(広島)を6-3で破り、見事にベスト16進出を果たしました。
三回戦は、平成の名投手・樋渡を擁するミラクル市川(山梨)に0-2での敗退となりました。
この時の我孫子高校は、当時の荒井監督とその息子(荒井修光)の親子鷹で話題を呼びました。



我孫子高校といえば、やはり、阪神の和田豊新監督(予定)の出身校で、和田新監督が一年のときに同校が甲子園初出場を成し遂げました。


 


 


以上です。

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