☆第1回夏の大会優勝校~幻の予選皆勤校・鳥羽高校~

現在の夏の全国高等学校野球選手権大会の前身である、全国中等学校優勝野球大会が初めて開催されたのは、1915年(大正4年)である。
記念すべき第1回全国中等学校優勝野球大会は甲子園球場(※完成は大正13年)でなく、豊中球場(豊中グラウンド)で開催されたのはご承知の事と存じます。
記念すべき第1回大会に出場した代表校は10校、その全てが現存しており、野球部も高校野球(中等野球)の創世紀から現在に至るまで輝かしい伝統が受け継がれている。
なお、この10校のうち、その後甲子園(※広い意味で)に一度も出場していないのが、三重四中(宇治山田高校)と広島一中(広島国泰寺高校)である。この2校には早く甲子園に戻って来て貰いたいものだ。


第1回大会の予選に参加した学校は全国で73校である。現在の参加校数からすれば、驚くほど少ない。
この第1回大会の予選に参加校した73校のうち、以降90有余年もの間一度も欠かさず夏の予選に参加し続けている学校が、これまでに幾度となく記述している「夏の予選皆勤校」で、全国に15校ある。
その15校は、旭丘高校、時習館高校、岐阜高校、西京高校、山城高校、同志社高校、市岡高校、関西学院高校、神戸高校、兵庫高校、桐蔭高校、鳥取西高校、米子東高校、松江北高校、大社高校である。
さらに、この15校全てが甲子園出場を成し遂げており、伝統と実績共に本当に素晴らしいと言う一言に尽きます。
この15校は平成10年の第80回記念大会で、名誉ある予選皆勤の招待を受けた。


※以下の写真は、愛知県立時習館高校野球部100年史に掲載されている、銅板の予選皆勤の表彰状である。

 


 


第1回大会に出場した10校は、秋田中、早稲田実、三重四中、京都二中、神戸二中、和歌山中、鳥取中、広島一中、高松中、久留米商である。
決勝戦は、秋田中と京都二中との対戦となった。
試合は、秋田中の長崎と京都二中の藤田の息詰まる投手戦となり、1‐1で迎えた延長13回にサヨナラで決着が付き、京都二中が最初の全国制覇を達成し、深紅の大優勝旗を手にした。
もし、秋田中が勝っていれば、深紅の大優勝旗の「陸路での白河越え」という言葉は生まれていなかった訳だ。
秋田中の活躍を観た先人達は、「陸路での白河越え」がこれほどまでに長く困難なものとは誰一人思わなかったであろう。



さて、先ほど第1回大会に出場した代表校10校は全て現存していると記述しましたが、既に皆様もご承知の通り第1回大会の優勝校である京都二中は、昭和23年の学制改革の際に廃校となった。
その後、昭和59年に京都二中のあった敷地に京都府立鳥羽高校の校舎が完成した。正確には跡地に建った新制の京都市立洛南中学校が移転となり、その校舎を利用(改修)して創立している。
本来ならば、旧・京都二中と鳥羽高校は直接の承継関係にはないため、野球部の記録も承継されないが、第1回選手権大会の優勝校である名門校の廃校を惜しみ復活を期待する関係者が多かったため、旧・京都二中の流れを汲み、同じ敷地に設置されたことが考慮され、日本高等学校野球連盟は特例として記録の承継を認めた。
また、鳥羽高校では同窓会名簿も統一され、長い中断を挟んだ再興と位置付けている。


放浪の元祖の方の日記もご参照下さい。
 ↓↓↓
http://labola.jp/diary/6836393


 


 


鳥羽高校の野球部は1901年(明治34年)に創部さた。野球部記(復刻)には、その年の5月には紅白戦が行われたこと、学友会規則ができ野球部が設けられたこと等が記されている。
甲子園には、春3回、夏5回出場し、通算成績は11勝6敗、優勝1回(夏)、準優勝1回(夏)である。
実は、夏の予選において、第1回大会から廃校となる第30回大会まで連続出場をしており、23年間の空白を経て鳥羽高校として復活した第66回大会から現在まで連続出場を果たしているのである。
これまでに夏の予選で積み上げた白星の数は、正五角形の内角、銀の原子量、数珠の玉の数、煩悩の数、野球の硬式球の縫い目の数、先日のあたしのゴルフのスコア(※バーディーチャンスが2回ありましたが、2パットとは…)と同じ108である。


 


 


以上です。

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