☆十二支の付く校名として初めて夏の全国大会出場を果たした公立の伝統校

昔々の大昔のある年の暮れのこと、神様が動物たちにお触れを出したそうな。
「元日の朝、新年の挨拶に出かけて来い。一番早く来た者から十二番目の者までは、順にそれぞれ一年の間、動物の大将にしてやろう!」
動物たちは、おらが一番とて、めいめいが気張って元日が来るのを待っておった。ところが猫は神様のところにいつ行くのか忘れてしまったので、ねずみに聞くと、ねずみはわざと一日遅れの日を教えてやった。猫はねずみが言うのを間に受けて、喜んで帰っていったと。
さて元日になると、牛は「おらは歩くのが遅いだで、一足早く出かけるべ」とて夜のうちから支度をし、まだ暗いのに出発した。牛小屋の天井でこれを見ていたねずみは、ぽんと牛の背中に飛び乗った。そんなこととは知らず、牛が神様の御殿に近付いてみると、まだ誰も来ていない。
我こそ一番と喜んで待つうちに門が開いた。とたんに牛の背中からねずみが飛び降り、ちょろちょろっと走って一番になってしまった。それで牛は二番、それから虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順で着いた。猫は一日遅れで行ったものだから番外で仲間に入れなかった。それで猫はねずみを恨んで、今でもねずみを追い回すのだそうな。




これは、今でも語り継がれている十二支に関する福島県の民話です。

 


福島県といえば、第90回全国高校サッカー選手権大会において、全国初の女子のみの工業高校として創設された尚志高校が、見事に県勢初となる選手権ベスト4進出を果たし、聖地である国立競技場のピッチに立ちました。被災地に勇気と感動を与える素晴らしい戦いでした。

その福島県の南東部側で隣接している茨城県の南部に、人口約8万人を有する龍ヶ崎市があります。
龍ヶ崎市内を走る関東鉄道竜ヶ崎線では、竜ヶ崎の「竜」にちなみ、今年の干支である「辰」のヘッドマーク付列車を正月の三が日に運行させたようです。
龍ヶ崎市といえば、既にお察しの方もいらっしゃると思いますが、公立の伝統校で、県内有数の進学校で、既に何度か記述している竜ヶ崎一高があります。
竜ヶ崎一高を奈良県に例えてわかりやすくいうと、奈良県民の多くが憧れる郡山高校のようなものです。

 


 





竜ヶ崎一高は、1900年(明治33年)に茨城県土浦中学の分校として稲敷郡龍ヶ崎町に設置され、硬式野球部は1902年(明治35年)創部で、県内では水戸一高、土浦一高、水海道一高、太田一高、水戸農業に次ぎ、下妻一高と並ぶ伝統を誇り、甲子園には春1回、夏9回出場し(※第4回大会は米騒動で中止)、通算成績は3勝9敗、最高成績はベスト16です。通算出場回数10回は、常総学院の19回、水戸商の14回に次ぐ数です。
竜ヶ崎一高といえば、竜ヶ崎中時代に校名に十二支の付く学校として初めて夏の全国大会出場を果たしたことで全国的に有名です。
竜ヶ崎一高の前回の甲子園出場は、2000年(平成12年)の第72回春の選抜大会で、この年は辰年であった。
さらに記録を遡ると、辰年には必ずといっていいほど好成績を残している(?)
辰年である今年の夏、甲子園に復活してもらいたい学校です。





また、繰り返し記述しておきますが、竜ヶ崎一高は希望ヶ丘高校(旧・神奈川一中)と共に関東の公立校として初めて、1916年(大正5年)第2回全国中等学校優勝野球大会の地区予選に参加しております。
(※東京・神奈川・茨城が参加しての関東地区予選)


さらには、1918年(大正7年)第4回夏の全国大会地区予選から1922年(大正11年)第8回夏の全国大会予選にかけ、5連覇の金字塔を打ちたて、関東の公立校として初めて全国大会出場を成し遂げました。
(※1918年~1919年は千葉・茨城・栃木、1920年は千葉・茨城・栃木・群馬、1921年~1922年は千葉・茨城・栃木・群馬・埼玉が参加しての関東地区予選)


 


 


以上です。















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