☆ユニフォームの記憶(6)~常総学院と前橋育英の明暗~

先日、野球殿堂博物館を訪れ、展示されていた常総学院のユニフォームを見て、常総ってどんな意味があるのだろうか?とふと思った。
常総とは、常陸国(茨城県の大部分)と下総国(千葉県北部)の併称である。広義では茨城県と千葉県を指し、狭義では茨城県の南西部を指す。
常総地区からは、江戸時代に多くの地理学者が輩出されている。これは、江戸と水運で結ばれていたことから蘭学などが入ってきやすい環境にあったことや、河川の氾濫などの災害から生活を守るために正確な地理空間情報が必要だったためといわれている。
そういえば、常総学院が甲子園初出場のとき活躍した、エース島田直也は千葉県柏市出身、ショート仁志敏久は茨城県古河市出身だった。

そして、記憶に新しい2013年(平成25年)の第95回全国高校野球選手権大会の準々決勝第三試合、前橋育英との対戦の記憶がよみがえった。

 

 

常総学院が2対0とリードして迎えた9回裏、好投していたエース飯田に異変が起こった。
イニングに入る前の投球練習のとき、盛んに屈伸を繰り返し、ベンチからは紙コップに入った水が運ばれてきた。熱中症による脱水症状だと見当がついた。ベンチに下がって治療を受け、再びマウンドに上がって打者に1球だけ投げるが、症状は治まらない。飯田は退場し、マウンドには2年生の金子が上がった。
不安を掻き立てられたが、金子は最速138キロのストレートと115キロ程度のスライダーを交えた横の揺さぶりで、3番土谷、4番荒井を打ち取り、勝利まで打者1人となった。
そして、5番小川の打球はセカンドへ。誰もがゲームセットと思った瞬間、セカンドがこの打球をはじき、ここから6番板垣の二塁打で2死二、三塁とし、7番高橋光成が起死回生の同点三塁打を放ち、ゲームは振り出しに戻った。
10回裏、再び前橋育英に1死二、三塁のチャンスが訪れた。
打席に立つのは好打者3番土谷。常総学院ベンチは敬遠して守りやすい満塁策の選択もあったが、勝負に行って、初球をライト前に運ばれた。
グラウンド上で歓喜の声を上げる前橋育英ナインと悄然とする常総学院ナイン。

たった1球のボールの行方がゲームの明暗を分けた。野球の怖さと面白さを実感した試合であった。


常総学院 020 000 000 0 =2
前橋育英 000 000 002 1x=3





以上です。

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