☆甲子園出場校放浪企~消えた校名(後編)~

3/21からセンバツ大会が始まり、いよいよ春の到来である。
今年のセンバツ大会には少し前の日記でも取り上げた、今大会屈指の頭脳派集団である高崎高校(群馬)が1981年(昭和56年)の第53回選抜大会以来実に31年ぶりに登場する。
この時の入場行進曲は皆様ご承知の通り、aoi珊瑚礁であった。


そしてこの時の決勝戦は、PL学園(大阪)対印旛(千葉)の球史に残る名勝負であった。
試合は、序盤から印旛が押し気味に展開し、6回には石井の内野安打、犠打で得た一死二塁のチャンスに白川がカーブを狙い打って中安打を放ち均衡を破る。PLはこの大会初めてリードを奪われる。
PLは初回の二死三塁、4回の二死満塁にあと1本が出ず、7回にも二死から連打が出るが、西川が走塁死。印旛・佐藤の前に1点が奪えないままPLは最後の攻撃を迎える。
9回、PLは先頭の泉谷が左飛に倒れる。しかし、続く東が痛烈に左前へ弾き返し一死一塁。ここで岩井に代えて2年生の佐藤を代打に送る。
この場面で印旛・佐藤は急に制球を乱し、0-3とする。
この後、2-3とした後の6球目をPL・佐藤が鋭く弾き返し、これが左中間を深々と破る三塁打となり、一走・東が生還。PLは土壇場で追いつく。
さらに続く西川は0-3からの4球目を強引に叩きつけると、打球は高いバウンドとなり一塁手のミットを弾いて右前へ。三走・佐藤が還り、PLは逆転サヨナラ勝ちを飾った。
PL学園は夏に劇的な逆転劇で初優勝を飾り、春の初優勝も見事な逆転勝利で飾った。


印旛高校の名将・蒲原監督は試合後に「私の指示の不徹底が敗因。非常に悔しい」と語った。



千葉県立印旛高校は、1901年(明治34年)に創立された組合立乙種農学校と組合立印西女子工業補習学校を起源とし、110年を超える歴史を持つ伝統校であった。
野球部は1951年(昭和26年)に創部され、夏の大会予選には、銚子商、千葉師範、千葉中、成田中、成東中、茂原農、大多喜中、佐倉中、長生中、関東中、佐原中、匝瑳中、八街農林、千葉商、東葛飾中、安房水産、木更津中、千葉工、市川中、安房中、市川工、市原中、野田工、京成工、国府台中、多古農、東鉄教習所、船橋中、旭農、小見川農、市銚子、一宮実、山武農、大原、聖書農学院、東京電波工芸、長狭に次いで、安房農(安房拓心)、千葉三(千葉東)、東金と並ぶ1951年(昭和26年)に初参加している。


甲子園には春2回、夏1回出場し、通算成績は5勝3敗であるが、記録以上に記憶に残るチームといえよう。



その印旛高校は、2010年4月に千葉県立印旛高等学校から千葉県立印旛明誠高等学校に校名が変更され、場所も印西市木下の地から千葉ニュータウン地区へと移転され、新たな一歩を踏み始めている。
どうやら、校歌まで変更されているようで、高校野球ファンとしては寂しい限りである・・・。



印旛高校跡地に関してはこちらをご参考にして下さい。
尚、ご本人には一切許可を頂いておりません(大汗)


 ↓↓↓
http://labola.jp/diary/13966580


 


 


 


どうやら、ゴルフ部が関東大会に出場のようですが、直ぐ前に習志野CCキングコースがあるからでしょうか?



ところで、印西市と隣接する白井市には今年のセンバツ出場校に関連する場所がありますが、それは2秒に・・・。


 


 


以上です。

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