☆4,253個の白球(6)


先日、甲子園歴史館を訪れた。入口から階段を上って右側の「高校野球ゾーン」に入ると、壁一面に並べられた白球が目に留まり、思わず足を止め30分ほど見入ってしまった。
これは、過去最大となっている2005年(平成17年)の高野連加盟校数を表す4,253個の白球を並べた「ボールウォール」で、そのうち1,014個の白球には甲子園出場経験のある校名が刻印されている。
我々、全国中等学校優勝野球大会研究家として忘れてはならない1校に、文武両道の名門・秋田高校がある。


1915年(大正4年)、記念すべき第1回夏の大会予選には全国から73校が参加し、10地区の代表として秋田中、早稲田実、山田中、京都二中、神戸二中、和歌山中、鳥取中、広島中、高松中、久留米商が晴れの舞台に立った。
決勝に進出したのは、京都二中と秋田中であった。試合は投手戦となり、1対1のまま迎えた延長13回裏、京都二中は一死二塁のチャンス。打者の打球は二塁への小フライ。秋田中の二塁手がワンバウンドで処理し一塁に送球するが、一塁手がお手玉。直ぐに本塁に転送したが、二塁走者のホームインには間に合わなかった。
エラーをした秋田中の一塁手は、秋田に帰り校誌にこう寄稿したという。
~吾らは帰途の電車内、宿舎に入っても出るのは涙だけであった~

その後も東北勢は、夏は三沢、磐城、仙台育英、東北、八戸学院光星(2回)、春は仙台育英、花巻東、八戸学院光星が優勝を逃した。
第1回夏の大会決勝戦を観戦した先人達は、大旗の白河越えがこれほどまでに長く困難な事とは誰ひとりとして思わなかったことでしょう。
今年の夏こそ、「高校野球100年目の年、そして、秋田中が決勝の舞台に立ってから100年目の年、長く長く待ちわびた、悲願の悲願の深紅の大旗がみちのくに届きました。100年前にみちのくの選手達が流した悔し涙が、たった今、嬉し涙に変わりました!甲子園の女神が素晴らしい演出をしました!」と絶叫するアナウンスを聞きたいものです。





以上です。


















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