☆夏の扉

高校野球の戦後復活大会となった第28回全国中等学校優勝野球大会は、1946年(昭和21年)8月15日に開幕した。全国745校から地区予選を勝ち抜いた19校が出場。甲子園球場は米軍に接収されていたため、全試合西宮球場で行われた。


前回大会から6年間の空白を経て、敗戦からちょうど1年で復活した大会であり、新しい日本の再建に立ち上がる若人の息吹を象徴する大会だったといえよう。


この大会に出場した19校は以下の通りである。


北海道代表
函館中(北海道・25年ぶり2回目)


奥羽代表
一関中(岩手・26年ぶり4回目)


東北代表
山形中(山形・7年ぶり5回目)


北関東代表
桐生工(群馬・初出場)


南関東代表
成田中(千葉・初出場)


東京代表
東京高等師範付中(初出場)


北陸代表
敦賀商(福井・8年ぶり11回目)


信越代表
松本市立中(長野・初出場)


山静代表
沼津中(静岡・初出場)


東海代表
愛知商(愛知・11年ぶり6回目)


京津代表
京都二中(京都・28年ぶり4回目)


大阪代表
浪華商(9年ぶり5回目)


兵庫代表
芦屋中(初出場)


紀和代表
和歌山中(和歌山・14年ぶり17回目)


山陰代表
松江中(島根・23年ぶり2回目)


山陽代表
下関商(山口・6年ぶり4回目)


四国代表
城東中(高知・初出場)


北九州代表
小倉中(福岡・27年ぶり2回目)


南九州
鹿児島商(鹿児島・10年ぶり5回目)


 


選手宣誓をしたのは、京都二中の田丸主将。「われわれは、スポーツマン精神に則り、正々堂々と試合し、誓って中等学校野球の精華を発揮せんことを期す」と宣誓し、現在まで続く高校野球大会の新たな幕が開けた。


開会式直後の第一試合に登場したのは、大会屈指の石原投手を擁して優勝候補の一角と目されていた成田中(千葉)と第1回大会優勝校の京都二中(京都)であった。


この2校により、6年間閉ざされていた夏の扉が開かれた。







 


試合は、成田中の石原投手と京都二中の田丸投手との投手戦。
0-0で迎えた6回裏、成田中は2死ながら二塁打で出塁した石原照夫選手を二塁に置いて、石原利夫選手が中前安打、本塁への返球が捕手のミットに届くより僅かに早く二塁走者の石原選手がヘッドスライディングで生還。誰もが成田中の先制と思ったが、主審の判定はアウト。
9回表に1点を奪った京都二中が初戦をものにし、その勢いで勝ち進みこの大会で準優勝している。



この判定は、後に中等学校野球写真展の「決定的写真」で公になったようだ。その写真には捕手がまだ捕球していない時点で石原選手の手がベースに届いている事実がはっきり写っていたという。写真を譲り受けた成田中の関係者が地元に持ち帰り、現在も成田市立図書館に大切に保管されているということだ。


 


 



http://labola.jp/diary/12039039

以上、こちらの記事を真似てみますた。(´・ω・`)


































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