☆15人の夏物語

1924年(大正13年)に甲子園球場が完成してから今年で88年というではないか。人間でいえば米寿を迎えたことになる。
甲子園球場は全国中等学校優勝野球大会の開催を主たる目的として建設され、第10回全国中等学校優勝野球大会から現在まで使用されている。
初の甲子園開催となった第10回大会で優勝を果たしたのは広島商業。夏の大会においては、実業学校として初めて、また兵庫県より西の学校として初めての全国制覇であった。



 


中等野球大会開催が主たる目的で誕生した甲子園球場であるが、誕生から現在までで使用されなかった大会が1度、西宮球場と併用された大会が2度ある。
甲子園球場が使用されなかったのは、1946年(昭和21年)第28回夏の大会。この大会は戦後初となる大会で、甲子園球場が米占領軍に接収されていたため西宮球場が使用された。
甲子園球場と西宮球場が併用されたのは、1958年(昭和33年)第40回夏の大会と1963年(昭和38年)第45夏の回大会。この二つの大会は記念大会で参加校が増えたため、甲子園球場と西宮球場が併用された。


第28回大会に初出場し、その後、春夏通じて甲子園に出場していない学校は、筑波大付属(東京)・沼津東(静岡)の2校。つまり、この2校は甲子園球場が誕生していたにもかかわらず、甲子園球場で試合をしていない事になる。また、第28回大会に2度目の出場を果たした函館中部(北海道)だが、初出場が甲子園球場の誕生する前の1921年(大正10年)第7回夏の大会で、第28回大会以降は春夏通じて甲子園出場がない。したがって、函館中部も甲子園球場が誕生していたにもかかわらず、甲子園球場で試合をしていない事になる。


第40回大会に初出場し、組合せ抽選のいたずらで西宮球場で試合を行い敗退した学校は、東奥義塾(青森)・水口(滋賀)・八幡浜(愛媛)・尾道商(広島)の4校。その後、この4校全て甲子園出場を成し遂げた。


第45回大会に初出場し、組合せ抽選のいたずらで西宮球場で試合を行い敗退した学校は、花巻北(岩手)・能代(秋田)・日大山形(山形)・水戸工(茨城)・長浜北(滋賀)・武雄(佐賀)の6校。その後、春夏通じて甲子園に出場していない学校は、水戸工と武雄。この2校も甲子園球場が誕生していたにもかかわらず、甲子園球場で試合をしていない事になる。


 


そういえば、水戸工業と武雄高校に関しては、以前にこんな記事を書いている。


 ↓
http://labola.jp/diary/11272444
『甲子園球場が使用されていたのに、甲子園で試合をしていない甲子園出場校を甲子園の舞台に立たせよう計画』



以上のように、筑波大付属(東京)・沼津東(静岡)・函館中部(北海道)・水戸工(茨城)・武雄(佐賀)の5校が甲子園球場が誕生していたにもかかわらず、甲子園球場で試合をしていない学校となる。


 


せっかくなので、甲子園球場が誕生する前の大会(夏の大会は第1回大会から第9回大会、春は第1回大会)には出場したが、甲子園球場が誕生して以降甲子園出場がない学校まで範囲を広げてみると、以下のようになろうかと思われます。


広島国泰寺 (広島:第1回夏の大会)
宇治山田 (三重:第1回夏の大会)
明善 (福岡:第2回夏の大会・第4回夏の大会)
洛北 (京都:第3回夏の大会)
豊国学園 (福岡:第6回夏の大会・第7回夏の大会)
岡山朝日 (岡山:第7回夏の大会)
明和 (愛知:第7回夏の大会)
神戸商 (兵庫:第8回夏の大会)
名古屋商 (愛知:第8回夏の大会)
函館商 (北海道:第9回夏の大会)


※長野師範(夏の第2回・第3回・第4回大会)および外地は除く


 


2014年の第96回夏の大会は甲子園誕生から90年を迎える。
この記念すべき大会に、甲子園で試合をしていない上記15校の主将を甲子園に招待し入場行進をさせてはどうかと朝日新聞社に提案したのは内緒です。
本当に実現したらスゴイですね♪~( ̄ε ̄)


 


 


以上です。

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