☆ドラマチック・ライン

線とは、細長く描かれたものや連続して細長いものをいう。


直線、曲線、放物線、函館本線、留萌本線、奥羽本線、八高線、埼京線、京浜東北線、山手線、中央線、小田急線、東急東横線、西武新宿線、飯田線、高山本線、北陸本線、紀勢本線、近鉄大阪線、阪急神戸本線、阪神本線、南海本線、伯備線、山口線、予讃線、土讃線、日豊本線、鹿児島本線、国道122号線と線にはいろいろありますが、この中で最も強い線は、埼京線である。(´・ω・`)


 


線といえば、白帽に二本線、三本線が入った全国的にみても珍しいユニフォームの高校野球部があるというではないか。


 





写真の上が愛知県立旭丘高校(旧・愛知一中)、写真の下が大阪府立市岡高校(旧・市岡中)である。
旭丘高校、市岡高校といえば、夏の予選皆勤校でもある。


旭丘高校は1870年(明治3年)に設立された尾張藩の洋学校を起源とし、硬式野球部は1893年(明治26年)創部で愛知県内では最も古く、全国でも屈指の伝統を誇ります。
甲子園には春4回、夏8回出場し、通算成績は10勝11敗、最高成績は優勝である。この優勝は高校野球史上唯一の敗者復活戦からの優勝となっている。
高校野球は一度負ければすべてが終わる一発勝負の戦いです。だからどんなにリードされても、最後の最後まで諦めないで必死に戦う姿が胸を打ち、感動を呼ぶのでしょう。
しかし、過去に敗者復活戦が取り入れられた(トーナメントの端数調整のため)大会が2回あります。1917年(大正5年)の第2回大会で1試合、1918年(大正6年)の第3回大会では2試合の敗者復活戦が採用された。
第3回大会で、旭丘高校(旧・愛知一中)は敗者復活から勝ち上がり優勝したのです。この敗者復活制度に疑問が感じられたため、この大会を最後にこの制度は廃止されたのです。


市岡高校は1901年(明治34年)に創立され、硬式野球部は1906年(明治39年)に創部、これは大阪府内では北野高校、天王寺高校、岸和田高校、三国ヶ丘高校、桃山学院、明星高校に次ぎ、四条畷高校と並ぶ伝統を有します。
甲子園には春11回、夏10回出場し、通算成績は14勝20敗、最高成績は準優勝である。



この両校は、愛知勢、大阪勢として全国大会初勝利を挙げ、初の決勝戦進出も成し遂げた、両府県の高校野球をリードした名門校です。
両校の伝統を感じさせるユニフォームは写真の様に(旧制中学時と高校時の写真です)野球部創部からほとんど変わっていないようです。
特に帽子のラインが特徴的で、このラインは永遠に残してもらいたいと思います。
そしていつの日か、甲子園で帽子の二本線と三本線が対戦する事を切に願っています。


 


 


以上です。

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