☆夏が来る~甲子園球場が使用されていたのに甲子園球場で試合をしていない甲子園出場校観戦記・水戸工業~


第94回全国高校野球茨城県大会の会場は、水戸市民球場、土浦市営球場、日立市民球場、笠間市民球場、常陸大宮市民球場の5会場が使用されている。こうみえて茨城は参加校が100校を超えており、大会の序盤は5会場くらい使用しないと日程の消化が追いつかないのであろう。
5会場の中で、常陸大宮市民球場が夏の大会で使用されるのは今回が初めてのようだ。一昨年までは、ひたちなか市民球場がメイン会場として使用されていたが、震災の影響で今年も使用できず、代わりに常陸大宮市民球場が大会の序盤で使用される運びとなったようだ。
常陸大宮市民球場は茨城県北西部にあり、両翼98メートル、中堅122メートル、照明灯が4基、収容人数が8,000人とそこそこ立派な球場である。


前置きが長くなりましたが、その常陸大宮市民球場まで足を運んだ。目的は二回戦に進出している水戸工業の試合観戦だ。スタンドはほぼ満員で一部外野席が解放されていた。茨城は田舎なので入場料は500円とリーズナブルです♪


水戸工業といえば、甲子園球場が使用されていたにもかかわらず、甲子園球場で試合をしていない甲子園出場校である。


水戸工業の創立は1909年(明治42年)、野球部創部は1925年(大正14年)で、昨年までの夏の予選勝利数は134勝、優勝1回、準優勝6回、4強3回、8強10回を誇る伝統校である。
1回の優勝は、1963年(昭和38年)第45回全国高校野球茨城県大会であった。県大会では、高萩、上郷、下館一、竜ヶ崎一、水戸農業、決勝では水戸商業を8‐7で下し、見事に甲子園初出場を成し遂げた。


第45回全国高校野球選手権大会は記念大会のため、各都道府県から48校の代表(北海道のみ2校)が集まった。代表校が増えたため、会場は甲子園球場と西宮球場が併用された。
水戸工業は組合せ抽選の結果、西宮球場で岡山東商との一回戦を戦うこととなった。試合は水戸工業が5回表に1点を先制したものの、8回裏に2点を奪われ、そのまま試合終了となった。その後、水戸工業は甲子園の舞台に立っていない。



今年の水戸工業は、140㎞を超える速球を武器に前評判が高い生田目投手を擁し注目度が上がっている。また、常陸大宮市は生田目投手の地元ということもあり、この試合は本人も気合い十分で挑んだことだろう。ユニフォームは白地に紫紺のような色で水戸工業と書かれており、帽子にはKのマーク。
対戦相手は土浦二高。県下の女学校として二番目に創設された歴史を有し、偏差値65を誇る名門校だ。
試合の方は、生田目投手が力強い速球を武器に9回途中で交代するまで散発3安打に抑え込んだ。外野に飛んだ打球は数本で、ほとんどが詰まったボテボテの内野ゴロと危なげない試合展開であった。打線は、相手の左腕中村投手のスローボールにやや苦しんだが、9回表に一挙4点を加え6対1で勝利し三回戦に駒を進めた。
三回戦の相手は、名将・木内幸男氏を生み、県下では最も多く、関東の公立校としても有数の東大合格を輩出し、甲子園出場経験を持つ伝統校土浦一高となった。水戸工業にとって、土浦一高は2年前の夏に苦杯をなめさせられた相手のようだ。その時、一年生だった生田目投手はスタンドで先輩達を応援していたようだ。生田目投手の闘志に益々火がつくことだろう。



水戸工業の校内には甲子園出場の記念碑が建立されているようだ。しかし、その時は甲子園球場で試合をしないまま夏が終わった。
全国でもう1校、水戸工業と同じ運命をたどっている佐賀県の武雄高校だが、今年は初戦で敗れ短い夏に終止符を打った。
この夏こそ、水戸工業が49年振りの頂点に立ち、前回なし得なかった甲子園球場のスコアボードに「水工」の校名を刻み、マウンドからは生田目投手が自慢の速球を闘魂込めて投げ込む姿が見られるのだろうか?



 


 


以上です。

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