☆幻の組み合わせ


先日、マイヤキュウ様が長岡高校の記事を書かれており、その中に「全国出場は6回で優勝経験がないのに戦績は1勝5敗」というような記述がございました。


ネタが思い浮かんだ。

1918年(大正7年)の第4回全国中等学校優勝野球大会の出場校は以下の14校であった。

東北
一関中(岩手県 2年ぶり2回目)

関東
竜ヶ崎中(茨城県 初出場)

京浜
慶應普通部(東京府 3年連続3回目)

甲信
長野師範(長野県 3年連続3回目)

北陸
長岡中(新潟県 初出場)

東海
愛知一中(愛知県 2年連続2回目)

京津
京都二中(京都府 2年ぶり3回目)

大阪
市岡中(大阪府 2年ぶり2回目)

兵庫
関西学院中(兵庫県 3年連続3回目)

紀和
和歌山中(和歌山県 4年連続4回目)

山陰
鳥取中(鳥取県 2年ぶり3回目)

山陽
広島商(広島県 3年連続3回目)

四国
今治中(愛媛県 初出場)

九州
中学明善(福岡県 2年ぶり2回目)



出場予定の14校は次々と大阪入りし、8月14日開幕、前日の8月13日には組合せ抽選会が行われていた。しかし、この大会は富山県魚津町から全国に広がった一つの事件に巻き込まれる。

第一次大戦によってもたらされた異常な戦争景気は諸物価の高騰を招き、中でも米は天井知らずの値上がりを続けた。7月23日、富山県魚津町(現・魚津市)で漁民の妻たち46人が港に押しかけ、北海道行きの船の米積み込みを阻止した。この事件が新聞で報道され騒動の発端となった。所謂、米騒動である。8月3日には滑川町で男性も加わった2,000人が米屋を非難、脅す騒ぎとなり、10日に京都、大阪、神戸と波及し、12日には大阪で軍隊が出動する騒ぎとなった。
そこで大会本部は14日に一旦延期の発表をしたが、16日には大会中止を決定し、第4回大会は幻の大会となった。
注目すべきは、これらの出場校の出場回数は大会中止にも関わらずカウントされている事であろう。



大会が中止となり、幻となった組み合わせは以下の通りである。

広島商 vs 慶應普通部

中学明善 vs 和歌山中

長野師範 vs 関西学院中

今治中 vs 京都二中

愛知一中 vs 鳥取中

長岡中 vs 一関中

市岡中 vs 竜ヶ崎中


帽子の三本ラインの市岡高校(市岡中・写真上)と帽子の二本ラインの旭丘高校(愛知一中・写真下)は一度は観てみたいものだ。


 






そうだ!

夏の第100回大会の特別企画として、この対戦が実現するよう、朝日新聞社に提案してみようかしら?(´・ω・`)





以上です。

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