☆夢の868号達成記念~王貞治選手の志望校は墨田川高校だった~

子供の頃、チャンスで王貞治選手に打順がまわり「ここでホームランを打ってくれないかなぁ~」と思った時、必ずと言っていいくらいライトスタンドにきれいな放物線を描き、巨○軍の勝利に貢献してくれた印象が強く残っています。
それもそのはず、王選手がホームランを打った試合の勝率は実に7割を超えています。

その王選手に野球の面白さを教えたのは兄であったという。王選手が小学四年の時、慶応大学医学部で野球部の兄が合宿に連れて行き、野球の楽しさを教えました。
しかし、中華そば店を経営する父は王選手が野球の道に進むことを反対しており、兄は医師に、王選手は電気技師になって貰いたいと願っていました。そんな父を説得したのも兄だったようです。

その後、王選手は墨田区立本所中学の野球部に入部する。中学二年の時、後に恩師となる荒川氏との偶然の出会いがあった。いつもなら錦糸公園のグラウンドで試合をするのだが、その日はたまたま使用できず隅田川を渡った隅田公園今戸グラウンドで試合をした。
その時、たまたま犬の散歩をしていた荒川氏が通りかかり、王選手の素質に驚かされた。荒川氏は王選手に自身の母校である早稲田実業で野球をするよう勧め、また、自らも早稲田実業に出向いて王選手を迎え入れるよう進言したという。

いよいよ高校受験を向かえた王選手は、悩んだ末、父の希望通り電気技師の道を目指すため理工系への進学率が高い都立墨田川高校の受験を決意し、早稲田実業への進学話は辞退するつもりだった。
ところが、墨田川高校の受験に失敗、荒川氏が勧めた早稲田実業に進学することとなる。
もし、王選手が墨田川高校に進学していたら、世界のホームラン王は誕生していなかったでしょう。何せ、当時(1956年/昭和31年)の墨田川高校には硬式野球部がありませんでした。




墨田川高校は、1921年(大正10年)に府立七中として創立されました。余談ですが、センバツ大会に出場した小山台高校は府立八中として翌年に創立されています。
出身者には、THE ALFEEの坂崎幸之助氏、NHKの元アナウンサー小川宏氏などがいます。
先ほど、墨田川高校には硬式野球部がない(軟式野球部はあります)と記述しましたが、実は、1946年(昭和21年)から1952年(昭和27年)の間だけ夏の予選に参加しています。その間の成績は3勝7敗。
墨田川高校硬式野球部は夏の予選で上位進出もないまま、7年間という短い歴史の幕をそっと閉じたのであった。




以上です。

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