☆4月21日 きょうの水口歴史探訪


水口城は江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛の際の宿館として築城された後、水ロ藩2万5千石の居城となり、湧水を利用した薬研堀に水をたたえていたことから「碧水城」の別名がありました。
明治維新後、水ロ城は廃城となり公売に付され、角櫓が付近の商家に売却されたり、石垣の一部が近江鉄道の敷石になるなど建物や石垣の大半が処分されました。旧本丸は水口高校の敷地となり、現在はグランドとして利用されております。
水口高校といえば、旧校名の甲賀高校時代に春1回、夏1回の甲子園出場経験があります。サッカー部も選手権大会に15回の出場経験を持つ名門校です。


水口高校の前身は、1908年(明治41年)水口城跡に創立された県立水口農林学校。
夏の予選には滋賀県勢としては、滋賀師範、八幡商、比叡山、彦根東、膳所に次いで第10回大会の予選に八日市と共に初参加しました。

歴史のある水口高校の甲子園復活はいつになるのだろうか?






以上です。















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