☆甲子園出場校ぶらり放浪日記か?~第1回夏の大会出場以来甲子園から遠ざかっている高校 前編~

 

 

仕事で三重に来たのか?

 

 

 

三重県の南東部に位置し、人口が約13万人で、江戸時代から伊勢神宮の門前町として発展し、以前は宇治山田市と称していた伊勢市に、宇治山田高校があります。

宇治山田高校は、1899年(明治32年)に三重県立第四尋常中学として創立され、2010年の進学実績は、国公立大に延べ47名、私立大に延べ353名の合格者を輩出した、三重県下有数の伝統校です。

野球部は夏の選手権に1度だけ出場し、通算成績は0勝1敗です。その1度だけの出場は、1915年(大正4年)の第1回夏の選手権大会で、その時は初戦で準優勝した秋田中に9-1で敗退となりました。宇治山田高校はその試合を最後に、甲子園に出場しておりません。

宇治山田高校が2度目の甲子園に一番近づいたのは、1992年(平成4年)夏の三重県大会でした。その時は決勝まで進出しましたが、惜しくも三重高校に敗退し、77年ぶりの悲願を逃しています。

ところが、宇治山田高校は思わぬ形で94年ぶりに甲子園の土を踏むことになった。昨年の第91回夏の選手権大会にて、その年創立110周年を迎えた同校の高橋主将を入場行進の先導役として甲子園に迎えた。入場行進前の高橋主将は、「甲子園は夢の場所。伝統を築き上げ守ってきた先輩たちのお陰で大役を与えてもらった。出場する選手たちと同じように胸をはって、堂々と先導したい」とコメントした。高野連の粋な計らいであった。

 

 

 

 

 

 

 

以上です。

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