☆日本で二番目に古い高校ラグビー部~太田高校~

  

 

1899年(明治32年)の秋、E.B.クラークがケンブリッジ時代の盟友田中銀之助とともに、慶応義塾の学生にラグビーを教えた。これが日本ラグビーの発祥となった。

1907年(明治40年)の夏休みに、慶応義塾の竹野敬司、福島荘平の両選手が群馬の太田中学(現・太田高校)を訪問したのをきっかけに、慶応義塾の選手が次々とコーチに出向いて指導し、太田中学にラグビー部が誕生した。太田中学は慶応義塾内大会に招待され、普通部と試合を行った。これが、日本初の中等学校同士の試合とされている。

 

1910年(明治43年)、京都第三高校(京都大学)でラグビー部が創部され、その後、1911年(明治44年)には同志社中、1912年(明治45年)には京都一中(現・洛北高校)、1915年(大正4年)には京都一商(現・西京高校)と京都三中(現・山城高校)でラグビー部が創部され、卒業生たちが各地にラグビーを広め、早稲田大学や東京大学にもラグビー部が創部されていった。

こうして大正時代に一気に大学を中心にラグビー部が創部され、昭和にかけてラグビーが発展していった。

 

2012年(平成24年)、太田高校ラグビー部は、学校創立115年目、創部105年目にして悲願の花園初出場を果たし、ラグビー部の歴史に偉大な足跡を刻んだ。

野球部の歴史も古い。創部は1900年(明治33年)で、群馬県内では前橋高校、高崎高校に次ぐ歴史を有する。

夏の全国大会予選には、前橋高校に次いで1921年(大正10年)第7回大会予選(関東大会)に初参加し、結果は栃木県工に 3 - 5 で敗れた。

夏の予選初勝利は、1922年(大正11年)第8回大会予選(関東大会)で、川越中に 16 - 2 で勝利した。

夏の予選通算成績は69勝90敗2分である。

 

 

伝統ある太田高校の活躍に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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