☆夏は終わらない2020 高校野球独自大会より~栃木県勢初の夏の全国大会予選参加校・真岡高校~

 

大正7年というから、1918年の8月1日。真岡中が、第4回全国中等学校野球大会予選の関東大会に、初めて栃木県から参加した。当時はまだ県大会は行われていなかった。関東大会の場所は、茨城県(水戸商)であった。真岡中は下妻中と1回戦を戦い、7対5で惜しくも敗れた。
この大会の優勝は、茨城県の竜ヶ崎中だったが、残念なことに全国大会は中止された。原因は、富山県から全国に広まった「米騒動」であった。

 

~栃木県高等学校野球八〇年史より一部引用~

 

 

 

真岡高校は、全国市町村別のイチゴ収穫量日本一である栃木県真岡市に所在する男子校で、1900年(明治33年)に栃木縣第三中學校として創立された歴史を有し、栃木県内有数の進学校である。

野球部は1902年(明治35年)に創部され、栃木県内では宇都宮、足利工に次いで、作新学院と並ぶ歴史を有する。甲子園出場は無いが、過去に3度、春のセンバツ大会21世紀枠の栃木県推薦校に選出されている。

夏の全国大会予選には、1918年(大正7年)の第4回大会予選(関東大会)に栃木県勢として初めて参加した。結果は、下妻中(下妻一)に 5 - 7 で敗退となったが、栃木県高校野球史に偉大な一頁を刻んだ。この試合の審判は「学生野球の父」とうたわれる飛田穂洲が務めた。学校史には「我が軍は初陣でありながら常に窮境にあっても少しもろうばいせず、終始一貫一糸乱れず男らしい態度は深く観衆に感嘆を与えた」と綴られている。

夏の予選初勝利は、1922年(大正11年)の第8回大会予選(関東大会)で、宇都宮農(宇都宮白楊)に  11 - 3 で勝利した。

夏の予選通算成績は93勝95敗1分である。

 

 

伝統ある真岡高校の悲願達成に期待したい。

 

 

 

 

以上です。

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