☆あと一歩! 逃し続けた甲子園

 

2012年3月10日の日記で、夏の地方予選決勝に3回以上進出しているが、あと一歩のところで甲子園に届かず、春夏通じて未だ甲子園に出場していない高校について記述した。(間違いがありましたらご容赦下さい)

 

10回

旭川東(北海道)


 4回

帯広南商(北海道)

八戸工(青森)
米沢中央(山形)
日大高(神奈川)
岐阜総合学園(岐阜)
大垣南(岐阜)

鹿児島城西(鹿児島)

 

 3回

稚内大谷(北海道)
遠軽(北海道)
水沢(岩手)
米沢興譲館(山形)
仙台工(宮城)
利根商(群馬)
市立川口(埼玉)
帝京大高(東京)
神奈川工(神奈川)
富士学苑(山梨)
柏崎工(新潟)
諏訪清陵(長野)
津商(三重)
西舞鶴(京都)
大阪商大堺(大阪)
桃山学院(大阪)
岸和田(大阪)
奈良大付(奈良)
玉野(岡山)
下関中央工(山口)
高松南(香川)
沖学園(福岡)
修猷館(福岡)
伝習館(福岡)
唐津東(佐賀)

鎮西学院(長崎)
大分雄城台(大分)

 

その後、遠軽が第85回選抜大会の21世紀枠で、奈良大付が第87回選抜大会で、津商が第97回選手権大会で、沖学園が第100回選手権大会で、鹿児島城西が第92回選抜大会(甲子園交流試合)で悲願を達成した。

 

この中で注目すべきは旭川東だろう。夏の地方予選決勝で敗れること10度、甲子園未出場校としては全国最多の準優勝回数を積み重ねている。

プロ野球史上初の300勝投手となったスタルヒンも当事者として悔しい思いをしている。ロシア革命で9歳のとき旭川市に亡命してきたスタルヒンは、旭川中(旭川東)の2年生エースになった。当時、188㎝の右腕は注目を集め、1933年(昭和8年)の決勝では北海中(北海)から12奪三振もチームの9失策により、3 - 5 で敗れた。翌1934年(昭和9年)も決勝で札幌商(北海学園札幌)から11奪三振、被安打2に抑えたがチーム5失策が響き、3 - 4 で惜敗。旧制中学は5年制で、翌年の甲子園出場が有力視されたが、スタルヒンは後ろ髪を引かれる思いで旭川中を中退、巨人に入団することとなる。

旭川東の野球部は、1903年(明治36年)に創部された歴史を有する。夏の予選には、道内では函館商、小樽潮陵、根室、函館中部、北海に次いで、小樽商、札幌工、札幌師範、札幌南、函館師範とともに1921年(大正10年)の第7回大会予選に初参加した。以降、決勝敗退は1926年(大正15年)を皮切りにスタルヒンの時代を含め10度、ジンクスが振り払えないまま時が刻まれている。

 

 (旭川東も帽子に二本線だったのかしら?)

 

 

 

 

最後に、甲子園未出場校の101回大会までの地方予選決勝進出回数(3回以上)を更新しておこう。(間違いがありましたらご容赦下さい)

 

10回

旭川東(北海道)

 

 5回

米沢中央(山形)※


 4回

帯広南商(北海道)
八戸工(青森)
日大高(神奈川)
岐阜総合学園(岐阜)
大垣南(岐阜)
大阪商大堺(大阪)※

鎮西学院(長崎)※


 3回

稚内大谷(北海道)
水沢(岩手)
米沢興譲館(山形)
仙台工(宮城)
利根商(群馬)
川口市立(埼玉)
帝京大高(東京)
神奈川工(神奈川)
向上(神奈川)※
富士学苑(山梨)
柏崎工(新潟)
新発田(新潟)※
諏訪清陵(長野)
西舞鶴(京都)
桃山学院(大阪)
岸和田(大阪)

玉野(岡山)
米子西(鳥取)※
鳥取中央育英(鳥取)※
下関中央工(山口)
高松南(香川)
生光学園(徳島)※
修猷館(福岡)
伝習館(福岡)
唐津東(佐賀)
大分雄城台(大分)

 

米沢中央、大阪商大堺、向上、新発田、米子西、鳥取中央育英、生光学園、鎮西学院がそれぞれ1回ずつ決勝進出回数を増やした。

 

 

果たして、今年の夏に悲願を達成する高校は現れるのだろうか?

 

 

 

 

 

以上です。

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