☆滋賀県勢初のベスト4 ~瀬田工業~ 【リメイク版】

とあるラボ友(マイヤキュー)さんが取り上げた、1982年(昭和57年)の第54回選抜高校野球大会出場校の話でこのネタが浮かんだ。

 

 

 

「急がば回れ」とは、早く着こうと思うなら、危険な近道より、遠くても安全確実な方法をとったほうが早く目的を達することができるというたとえである。
急がば回れの語源は、宗長(室町時代の連歌師)の歌「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」である。
「もののふ」とは武士、「矢橋の船」とは矢橋の渡し船を意味する。
「矢橋の渡し」とは、東海道五十三次草津宿(滋賀県草津市矢橋港)~ 大津宿(滋賀県大津市石場港)を結んだ湖上水運で、「瀬田の長橋」とは、日本三大名橋のひとつ「瀬田の唐橋」である。
当時、京都へ向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が、瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いのだが、比叡山から吹き下ろされる突風(比叡おろし)により危険な航路だったため、このような歌が歌われた。


英語にも似たような表現がある。
Make haste slowly.
(ゆっくり急げ)
Slow and steady wins the race.
(遅くとも着実な者が競走に勝つ)

 

 

 

 

この瀬田の唐橋から東へ徒歩約10分のところに瀬田工業がある。

瀬田工業は1939年(昭和14年)に滋賀県立瀬田工業学校として開校され、野球部は1946年(昭和21年)に創部された。野球部OBには、元日本ハムの西崎幸広氏、プロ野球審判員の橘髙淳氏などがいる。
夏の全国大会予選には、滋賀県勢としては滋賀師範 、八幡商 、比叡山 、彦根東、膳所、水口、八日市 、大津商 、虎姫 、長浜北星、彦根商(閉校)、 八日市南 、彦根工に次いで、高島とともに1946年(昭和21年)の第28回大会予選に初参加した。結果は、膳所に 3 - 14 で敗退となった。
夏の予選初勝利は、1951年(昭和26年)の第33回大会予選で、八幡に 4 - 1 で勝利した。
夏の予選通算成績は62勝73敗、優勝1回、準優勝1回である。
夏唯一の優勝は、1980年(昭和55年)の第62回大会予選で、堅田、信楽工、八日市、栗東に勝利し、決勝では比叡山に 2 - 1 で勝利しての優勝であった。
初めての夏の甲子園では、明野(三重)、秋田商、浜松商に勝利し、見事にベスト4進出を成し遂げた。
このベスト4は、滋賀県勢としても春夏通じて初の快挙であった。

 

その瀬田工業も、1982年(昭和57年)の第54回選抜大会を最後に甲子園から遠ざかっている。
当時は各地からいろんな学校が甲子園に出場していたが、近年は同じ顔触ればかり。せめて、センバツ大会への招待校は初出場校を優先させて貰いたい。

 

急がば回れ、瀬田工業の甲子園復活に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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