☆甲子園で試合をしていない甲子園出場校 ~豊国学園~

豊国学園は福岡県北九州市門司区に所在し、1912年(明治45年)に豊国中学として創立された。その後、1964年 (昭和39年)に門司工業と改称、1981年(昭和56年)に再度校名を豊国学園へ改称した。


野球部は1914年(大正3年)に創部され、福岡県内では修猷館、明善、育徳館、久留米商、東筑、伝習館、福翔、嘉穂、小倉、八女、福岡工に次ぐ歴史を有する。
夏の全国大会予選には、1915年(大正4年)の記念すべき第1回大会予選(九州大会)に、福岡県勢としては久留米商、修猷館、伝習館、嘉穂、福岡師範、八女とともに初参加した。この予選は期間がわずか2日間という日程であった。
結果は、初戦の福岡師範に日没順延の末、8 - 2 で勝利し、予選初勝利を挙げた。続く修猷館には 4 - 3 で逆転勝利し決勝に進出。
決勝は久留米商と対戦。しかし、豊国は一日三試合という超強行日程になってしまい、六回、豊国ナインの疲労は限界に達し棄権を申し出、久留米商が代表となった。
夏の予選通算成績は121勝91敗である。


夏の全国大会には、1920年(大正9年)、1921年(大正10年)と2年連続で出場を果たした。当時は甲子園球場が誕生しておらず、鳴尾球場で開催された。
門司工時代の1974年(昭和49年)には、秋の九州大会を制し、54年ぶりの全国大会、創部史上初のセンバツ出場が決定していた。そして、1975年(昭和50年)の第47回センバツ大会で初めて甲子園球場の土を踏むはずだったが、野球部員以外の生徒の不祥事により、開会式当日に急遽出場を辞退し、「幻の甲子園」になってしまった。

 

 

豊国学園が甲子園球場の土を踏む日はいつになるのだろうか?

 

 

 

 

 

以上です。

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