☆続by名人戦&1度だけの甲子園~八日市~

第1回by名人戦のつづき


b「堅田もそうですが、滋賀は一回だけ甲子園に出ているところが多いですよね。」

y「そうですよね。師範学校とかも含めると確か、北海道の26、長野、大阪、兵庫の15、山口、福岡の14、宮崎の13に次いで、東京、愛知と同じ12でしょう。他に二桁以上となると新潟の11、福島、京都の10ですかね。一番少ないのは福井と香川の2でしょう。」

b「滋賀の12には八幡商とさっき試合をしていた八幡の出場歴の共有を含めた数ですね。」

y「昭和26年の春ですかね。」

b「湖東スタジアムに来る途中、八日市の前を通過しました。ここも一回ですね。レポートしようかと事前調査していたのですが、今回は断念しました。」

y「では、アタシがやりますよ。そういえば、湖東スタジアムの近くに滋賀学園もあるでしょう。ここも一回ですね。」




八日市高校の創成期はいくつかの学校が統廃合されたり、名称が変更されたりやや複雑であるが、1907年(明治40年)が起源とされており、滋賀県内でも有数の歴史を有する。
野球部は1924年(大正13年)に創部され、県内では彦根東、膳所、八幡商、比叡山、高島
、大津商に次いで、水口、彦根工と並ぶ歴史を有する。
夏の予選には、八幡商、比叡山、滋賀師範、彦根東、膳所に次いで、水口とともに1924年(大正13年)第10回夏の大会予選に初参加した。
初の予選は、京都師範に 8-23 と大敗し厳しい船出となった。
夏の予選初勝利は1929年(昭和4年)第15回夏の大会予選で、大津商に 7-4 で勝利した。
初の決勝進出は1951年(昭和26年)第33回夏の大会予選であったが、平安に 0-11 と京都の厚い壁に屈した。
そして迎えた1953年(昭和28年)第35回夏の大会予選、決勝に進出した八日市は、これまで滋賀県勢の厚い壁となっていた京都勢の西舞鶴を 7-3 で破り初の甲子園出場を成し遂げた。これは、第1回夏の予選から参加している滋賀県勢としても初となる甲子園出場であった。


八日市が甲子園出場してから61年の時代が流れた。八日市が甲子園に戻ってくるのは何時になるのだろうか?







以上です。

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