越前の雄(福井県立若狭高等学校)

月曜日の昼になりました。

今日はクリスマスイブと世間は騒いでおりますが私には全然関係ありません。

なんの因果関係もありませんが川西大先生が大社高校の事を書き記されたのを見てあたいも、思い出の高校である「福井県立若狭高校」のとこを書き留めておきたくなりました。

 

 

福井県立若狭高等学校(ふくいけんりつ わかさこうとうがっこう)は、福井県小浜市千種一丁目に所在する公立の高等学校である。

 

小浜藩校「順造館」を前身に、若狭地方で中学教育が始められたことをルーツとしている。藩校成立は18世紀に遡り、県内でも有数の歴史を持つ。通称は「若高」(じゃっこう)。福井県の高校ではあるが、地域的に関西圏とのつながりが深く、京都大学をはじめ関西の国公立大学への志向が生徒のなかで強いことが特徴として挙げられる。

他の県立高等学校と異なり、滋賀県から分離後、中学校令(一府県一校)により一時廃止され、福井中学の分校を経て、1897年(明治30年)に小浜尋常中学となった。1895年(明治28年)に福井県簡易農学校分校として小浜に水産科が設置され、のちに福井県立小浜水産学校となる。1905年(明治38年)には私立稚桜女学校が設立され、これが福井県立小浜高等女学校に発展した。

1948年(昭和23年)の学制改革により、小浜中学、小浜高女、小浜水産を合併し、福井県立小浜高等学校が設立された。翌年、遠敷高等学校を合併し、福井県立若狭高等学校となった。

設立当初は、普通科、商業科、家庭科、農業科、水産科および定時制からなった。のち、農業科は若狭農林高等学校(現、若狭東高等学校)、水産科は小浜水産高等学校に分割(2013年に再統合)し、今日に至っている。

 

偏差値は39~64で福井県内5位、福井県内公立5位、全国760位である。

 

野球部は春選抜3回、夏選手権は7回の出場を誇る福井県では古豪である。

1950年(昭和25年)第32回選手権大会に初出場して一回戦浜松商業に3対2で勝利するが、二回戦宇都宮工業に0対16で大敗している。

 

1969年(昭和44年)の選手権7回出場の第51回大会では二回戦長崎商業2対1、準々決勝で富山北部を4対1と破りベスト4へ進出したが夏将軍の松山商業に0対5と敗れている。これが若狭高校の甲子園での最高成績である。

 

選抜にも三回出場しているが1955年(昭和30年)第27回に出場した時に高松商業、兵庫高校と破りベスト8へ進出したが県尼崎に0対2と敗れている。

 

また若狭高校は記念すべき1973年(昭和48年)の第4回明治神宮大会(実質的には第1回)の初代優勝校でもあるその時は一回戦柳井商業を3対2、準々決勝は四日市工業を6対2そして決勝では京都平安高校を延長戦11回の末3x対2とサヨナラ勝ちで破って見事栄冠を勝ち取っている。

 

今でも当時若狭高校の右腕エース内藤の力感あふれる投球が思い出される。

 

翌年の1974年(昭和49年)第46回選抜大会にも出場したが1回戦で平安高校と対戦して内藤の力投もむなしく2対1で惜敗している。

 

 

昭和初期から福井県の高校野球を敦賀高校、敦賀商業、とともに牽引してきた若狭高校。

私が記憶している1974年の選抜から甲子園から遠ざかってすでに44年是非とも復活してほしい越前の雄である。

 

卒業生には

川藤幸三(阪神タイガース)

そして私も少しはまった、おニャン子クラブ高井麻巳子(秋元康夫人)がそうである。

 

(若狭高校 エース内藤 強気の投球が好きでした)

 

(第4回明治神宮大会若狭高校が延長戦の末平安高校にサヨナラ勝ち)

 

(第4回明治神宮大会の優勝の後の記念撮影)

 

 

                                   おわり

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