青森県の古豪「東奥義塾高」

今日はここ常陸の国水府地区も秋晴れです。

三連休の中日いかがお過ごしでしょうか?

 

家の近くの田園もほとんど稲刈りが終わっております。

風も秋風に変わりこれからやっと秋本番です。

 

また各地では第92回選抜高校野球大会の試金石ともいわれる秋季大会が各都道府県で真っ最中

此処茨城も昨日準決勝が行われ霞ヶ浦と常総学院が決勝に進みました。

これで関東大会出場決定です。

 

本日は決勝戦で7回終了して8対1で常総学院が大量リードしているようです。

ひたちなか市民球場で開催されているので観戦に行きたかったのですが、昨日の仕事の疲れもあり、今日は家でゆっくりしてます。

 

さて隣県の福島では松本先生も記載しておりましたが浜通りのマリンブルーのいわき高校がベスト4に久々の進出しており、青森県ではこちらも古豪東奥義塾が3位決定戦へ八戸工大一高と東北大会を掛けて戦う。

 

さて今回はみちのくの最北端の県青森県私立東奥義塾高です。

私は中学時代東奥義塾って仙台育英、学制法人石川と同じくカッコいい校名だな?と思っておりました。

憧れでしたが、地元からは程遠いし、進学は厳しいということで地元の高校に行ったわけですが、東奥義塾行ったらレギュラーにはなれなかったと思いますが、人生が少し変わったか?と思ってます。

 

東奥義塾は弘前市石川長者森61-1にある。丁度温泉で有名な大鰐温泉にほど近い。

学校の歴史は古く寛政8年(1796年)創立の津軽藩の学問所稽古館が母体。明治5年慶應義塾で学んだ旧弘前藩主の菊池九郎が創立。大正2年経営難で一旦廃校となったが、11年に再興された。昭和23年の学制改革で東奥義塾高校となる。偏差値は49である。

 

野球部は再興された大正11年に創部。昭和33年夏エース菊池勝則で初出場。初戦で高知商業に11安打を浴び1対6で大敗した。

 

38年夏、エース菊池久和、1番センター小笠原一(日大→新日鉄釜石→東奥義塾野球部監督)、2年生の1塁手外崎忠彦(日体大→木造高校監督→弘前実業監督→東奥義塾監督)らで2度目の出場。初戦で強豪高知商業と対戦

9回表に2対2に追いつかれ、延長10回表に3対2とリードされたがその裏2点を挙げて逆転サヨナラ勝ちで甲子園初勝利を挙げた。

3回戦は今治西の前に1対3と惜敗している。

 

42年夏にはエース前田啓一で出場。初戦の四日市高戦は0対1で迎えた8回裏に3点を挙げて逆転勝ち、

2回戦では前田が報徳学園を完封してベスト8迄進出したが準優勝した広陵高校左腕宇根投手の前に0対5と完封された。

 

53年部員の不祥事で1年間の対外試合禁止の処分を受けたが56年夏エース青山仁で甲子園に復活したが1回戦で鳥取西高に0対5と敗れている。

 

その後は平成2年夏と5年夏に県大会決勝戦まで進出した。

 

9年小笠原一監督が就任。10年夏の県大会1回戦で深浦高校と対戦。1回で39点を取って最終的には122対0というあの歴史的試合を成立させた。

これまで7回コールドまでしかなかったので、この試合で青森県高野連は5回10点差でコールドゲームの成立を決めた。

 

東奥義塾高校純白で胸に赤字で「To.O」いつしか聖地甲子園へ帰ってきてほしい高校の一つである。

 

 

 

 (東奥義塾のユニフォームシンプルでかっこ良過ぎ、何となく土佐高校をイメージする)

 

 

 

(選手たちの試合をお岩木山も見守っている)

 

(弘前ゆめはるか球場バックネット裏が変わっているが多分岩木山をモチーフにしたんではなかろうか?)

 

 

 

 

                                   おわり

 

 

 

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