ピックアップアクティブサッカープレイヤー No.22

香川 真司(かがわ しんじ)

国籍 日本

生年月日 1989/3/17

出身地 兵庫県神戸市垂水区

身長/体重 175cm/68kg

ポジション MF(OMF・CMF・SMF)、FW(ST・WG)

利き足 右

代表デビュー 2008年5月24日コートジボワール戦

主な出場大会 U20W杯(2007年)、五輪(2008年)、W杯(2014年・2018年)

 

プレースタイル

アジリティやトラップやターンなどのボールタッチ、パスセンスに優れており、オブ・ザ・ボールやスペースメイクも巧みでチャンスを創り出すことができるアタッカー。豊富な運動量で攻守の組み立てにも献身し、判断の速さやゴール前での落ち着きもあって得点能力も高い。ただフィジカル面に課題を残しており、ヘディングも不得意である。

 

経歴

幼稚園の時にサッカーを始め、小学校1年から地元のマリノFCに所属。その後は東舞子サッカークラブを経て、小学校5年の時には神戸NKサッカークラブ(現:センアーノ神戸)に所属。神戸NKの指導者の勧めもあり中学校入学と同時に宮城県仙台市のFCみやぎバルセロナジュニアユースへサッカー留学。この時期にはナショナルトレセンやU-15日本代表に選ばれた。中学卒業後はFCみやぎバルセロナユースへ昇格し、高校1年の時には日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会に出場した。高校2年の時にはU-18東北代表に飛び級で選出され、仙台カップ国際ユースサッカー大会(U-18)にボランチとして出場し、MIPの1人に選ばれた。

 

2005年には高校2年生ながらJリーグ・セレッソ大阪とFC東京からオファーを受け、地元と近かったこともあり12月末にセレッソ大阪と仮契約を交わし、年が明けて2006年にセレッソ大阪に加入し、同年シーズンは出場機会を与えられなかったが、J2で迎えた2007年シーズンにはレギュラーを獲得し、リーグ戦35試合に出場して5得点を記録。また同年には飛び級でU-20W杯のメンバーに選出され、2試合に出場した。2008年シーズンには開幕からC大阪の主力として活躍し、リーグ戦35試合に出場して16得点を記録。また北京五輪に出場するU-23日本代表やA代表にも飛び級で選ばれ、同年5月に代表デビューを飾ると、10月に行われたキリンチャレンジカップのUAE戦では日本代表史上3番目の若さで代表初得点を記録した。2009年シーズンから背番号を「ミスター・セレッソ」こと森島寛晃が着用した「8」へ変更し、J2第15節水戸戦でプロ登録後初となるハットトリックを達成。その後も4試合連続ゴールを記録するなど得点を重ね、リーグ戦で27得点を記録しJ2得点王に輝くなど、チームのJ1昇格の大きな原動力となった。自身にとってJ1で初めてプレーするシーズンとなった2010年シーズンは開幕前に国内外のクラブへの移籍が噂されたものの、シーズンの開幕時点ではチームに残留した。リーグ戦の出場期間の2か月半で11試合7得点の好成績を残した。

 

2010年7月にはドイツ・ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントへ移籍。するとブンデスリーガ第3節ヴォルフスブルク戦では移籍後リーグ戦初得点を記録し、第4節シャルケ04とのルールダービーでは「僕が2点取って2-0で勝つ」との公約通りに2得点を挙げるなど活躍。その後もチームの主力として試合に出場し、リーグ前半戦で17試合に出場し8得点を記録するなどキッカー誌が選定するリーグ前半戦の攻撃的ミッドフィルダー部門では最優秀選手に選出された。2011年1月にはアジアカップ日本代表のメンバー選ばれ、中村俊輔が代表を引退して空き番になっていた背番号10を着用。するとグループステージのサウジアラビア戦では岡崎慎司の得点をアシストし、準々決勝での開催国カタール戦では1点リードされている状況から2得点を挙げて、決勝点もアシストするなど日本の準決勝進出に貢献。しかし、準決勝の韓国戦で右足を負傷して途中交代。右第5中足骨(右足小指の付け根)骨折の全治3カ月の重傷であることが判明し、決勝のオーストラリア戦を前に戦線離脱を余儀なくされた。この負傷によりドルトムントの9シーズンぶりのリーグ優勝の瞬間をピッチで迎えることはできなかった。それでも、5月のブンデスリーガ最終節アイントラハト・フランクフルト戦の後半43分にサポーターの「カガワコール」に迎えられ、約4カ月ぶりの実戦復帰を果たした。代表復帰戦となった2011年8月の韓国戦では2得点を挙げる活躍を見せた。2011-12シーズンにはブンデスリーガ第6節ハノーファー96戦では怪我から復帰後初のリーグ戦初得点を記録。その後不調で出場機会を失ったこともあったが、徐々に調子を取り戻し、第27節1.FCケルン戦では2ゴール1アシストの活躍で自身のリーグ得点記録を2桁台にのせ、リーグ優勝に王手をかけた第32節ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦では決勝ゴールを決めてチームのリーグ連覇に貢献した。更に、5月に行われたバイエルン・ミュンヘンとのDFBポカール決勝で香川は1ゴール1アシストを記録し、チームは5-2で快勝した。この勝利によりドルトムントはクラブ史上初となる国内2冠を達成し2011-12シーズンを締めくくることとなった。

 

2012年6月にはイングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドへ完全移籍。8月に行われたリーグ開幕戦エヴァートンFC戦でプレミアリーグへのデビューを果たすと、第2節フラムFC戦でプレミアリーグ初得点を決めた。10月には負傷により2か月間戦線離脱もあったが、12月末に戦列復帰を果たすと、2013年2月にはチャピオンズリーグ・決勝トーナメント1回戦1stレグのレアル・マドリード戦で先発で出場し、この試合で香川は同大会の決勝トーナメント出場を果たした5人目の日本人選手となった。しかし、2ndレグでは出場機会を与えられず、チームも敗退した。3月のノリッジ・シティFC戦では自身のヨーロッパ移籍後初、プレミアリーグにおいてはアジア出身選手による初のハットトリックを達成し、同シーズンでクラブでは2シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、自身も欧州移籍後3シーズン連続でリーグタイトルを獲得した。しかし、同シーズン限りでアレックス・ファーガソンが監督を退任し翌シーズンから代わりにデイヴィッド・モイーズが監督に就任すると、自身の出場機会が減少し、シーズンの後半には先発での出場機会こそ増えたものの、最終的に公式戦無得点に終わり、またこのシーズンは自身だけでなくチームも一年を通して不振に陥り、優勝争いに全く絡めず翌シーズンのチャピオンズリーグの出場権も逃す結果に終わった。また翌シーズンに監督が代わるも出場機会は与えられず、2014年8月に古巣ボルシア・ドルトムントへの復帰が発表された。

 

一方、代表では2012年から2013年にかけて行われたブラジルW杯最終予選で5試合に出場し2得点を決めて日本のW杯出場に貢献。2013年6月に行われたコンフェデ杯では第2戦のイタリア戦で得点を決めたが、チームは3戦全敗でグループリーグ敗退を喫した。2014年に行われたブラジルW杯では日本代表メンバーに選出され、グループリーグ全試合に出場するも目立った活躍を見せることができずチームもグループリーグ敗退。アジアカップ2015では全試合インサイドハーフで起用され、グループリーグ第3戦ヨルダン戦では代表9試合ぶりの得点を決めるも、準々決勝UAE戦では再三の決定機を外し、PK戦では6人目のキッカーとなるも失敗。チームはベスト8で敗退した。

 

ドルトムント復帰後は背番号7番を付け、復帰戦となった第3節SCフライブルク戦ではトップ下で先発出場して移籍後初得点を記録。しかし、その後チームはリーグ戦での勝利に恵まれず、自身もシュートが打てない試合が続くなど不調に陥り、出場機会が減少。それでも後半戦になると調子を上げ始め、5月のブンデスリーガ最終節のヴェルダー・ブレーメン戦では1得点2アシストを記録する活躍を見せ、翌シーズンのUEFAヨーロッパリーグ出場権の獲得に貢献した。2015-16シーズンには背番号を「7」から元々付けていた「23」へ変更。また監督交代によるチームの戦術転換に伴い、自身は4-3-3のインサイドハーフのレギュラーとして試合に出場。するとこのシーズンはリーグ戦で29試合9得点9アシストを記録し、ブンデスリーガ公式サイトがTwitterを使って実施したベストイレブンに選出され、トップ下部門1位に輝いた。2016年11月に行われた欧州CL第5節レギア・ワルシャワ戦では前半17分と18分の76秒間で立て続けにゴールを奪い、UEFAチャンピオンズリーグ史上1試合2得点の最速記録を樹立した。この試合で2得点1アシストを記録し、UEFA公式のMOM、第5節のベストイレブンに選出された。2017年7月にはドルトムントとの契約を2020年まで延長し、このシーズンにピーター・ボスが監督に就任。9月には第7節のFCアウクスブルクで得点を決め、ブンデスリーガにおいて日本人最多得点記録となるブンデス通算38得点目を記録した。ボス政権下では途中交代が主だったが、12月にボスが解任され、ペーター・シュテーガーが新たに監督になると先発の機会を増やした。2018年1月には第19節ヘルタ・ベルリン戦でブンデスリーガのアウェーゴール通算2万ゴール目となるメモリアル弾を決めた。しかし第22節のハンブルガー戦で負傷交代となり、そこから2カ月もの間、ピッチに立つことはできず。最終節のホッフェンハイム戦で途中出場から約3ヶ月ぶりに復帰した。一方、代表ではヴァヒド・ハリルホジッチ体制の下で先発での出場機会が減少したものの、ロシアW杯直前での監督交代もあり、ロシアW杯のメンバーに選出された。クラブでは怪我の影響で出場機会が減少し、試合勘が問題視されていたが、ロシアW杯グループリーグ初戦のコロンビア戦で前半6分に自身で得たPKを決めて、W杯初得点を記録。チームの勝利に貢献し、グループリーグを突破すると、決勝トーナメント1回戦・ベルギー戦では乾貴士の得点をアシストするなど活躍。しかし、日本はこの試合でベルギーに逆転負けを喫して、ベスト16で止まりとなった。

 

2018-19シーズンは新監督のリュシアン・ファーヴルの構想から外れ、公式戦4試合の出場のみにとどまるなど戦力外扱いとなり、出場機会を求めて移籍を模索。2019年1月末にはトルコ1部のベシクタシュJKへ半年間の期限付き移籍が発表された。新天地でのデビュー戦となった2月のアンタルヤスポル戦で後半36分から途中出場して16秒後に初ゴールを決めると、後半39分にはFKで2点目を決めるなど鮮烈なデビュー戦となった。

 

代表記録:95試合31得点

 

今回は皆さんもご存知かと思いますが日本代表の10番を背負って活躍し、先週にはトルコのリーグ戦で途中出場から2得点を挙げるという鮮烈デビューを飾った香川真司選手です!

 

しかし、まさかトルコリーグのデビュー戦で途中出場から2得点を挙げるとは!

他のブログの日記にもコメントしたかもしれませんが、出来すぎですね^^;

ただこれで次の試合はかなり期待できます!あと主戦場はトップ下か左サイドになるみたいですね!

 

そんな香川選手を調べてみると、小学校からプロサッカー選手へなることへの気持ちが強かったとのことで、ただ意外にも中学時代はJクラブの下部組織ではなく町クラブであるFCみやぎバルセロナでプレー。

そこを選んだ理由は上記に書いてある通り神戸NKの監督の勧めというのもあったんですが、他の理由として「Jクラブの下部組織に行くとプロになるのはトップ昇格しか選択肢がない。そう考えたら町クラブへ行く方がプロへの近道かなと思いました。」とのことです。

 

そういう考え方もあるんですね~。一般的にはJクラブの下部組織に行く人が多い中で、ちゃんと将来に向けて自分なりに物事を考えているんだと改めて感じました!

 

またFCみやぎバルセロナに言った理由は神戸NKの指導者の教え子がFCみやぎバルセロナジュニアユースの指導者だった縁もあって地元を離れてサッカーをする決断をしたとのことです!

 

その後もセレッソや海外で数々の苦労はありましたが、現在トルコで鮮烈デビューを飾って目標に向かって日々頑張っているところです!

 

ちなみに香川選手の今の目標は今夏以降のスペインリーグへの移籍と日本代表への復帰とのことです!

そのためにはまずベシクタシュで活躍してほしいところです!次は2月10日午前1時(日本時間)からホームでブルサスポルと試合です!マスコミによると香川選手もその試合で初先発するとか・・・。

 

とにかく次の試合での活躍に期待です!

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