西本聖と江川卓(その3)

  • Miya
    2010年04月27日 15:46 visibility1949






1年目9勝、2年目16勝・・・と江川は、


プロ入り後、当然のように順調に勝ち星をあげる。




西本は江川への対抗意識を剥き出しにしながら、


8勝、14勝・・・と歯を喰いしばって、追いかける。




そんな図式が続いた。


 




 









西本という男は、反骨精神の塊のような男だ。


先輩の誘いを断り、ひたすら猛練習に打ち込む。


寮の部屋では指立て伏せをし、


電車に乗れば、爪先立ちで鍛錬する。




暑苦しいほどのライバル意識で立ち向かってくる。


 


 




しかし、江川は・・・







 


 


 


そして江川は3年目にして、


プロ投手として絶頂期を迎える。







1981年の成績は、


20勝6敗、完投20、完封7、勝率.769、奪三振221、防御率2.29。


最多勝・最高勝率・最優秀防御率・最多奪三振、最多完封と言う投手五冠に輝いた。




その年のMVPにも、文句なしで輝いている。






「プロに入ったら、すべてのタイトルをとることが目標だった」





そんな江川にとって、あと一つこだわりのある賞があった。


 


 


沢村栄治賞。







プロ野球投手なら、誰もが憧れる栄誉だ。


しかし、江川はこの年、まさかの「落選」をした。




皮肉にも受賞したのは、西本聖であった。




この年の西本の成績も、素晴らしかった。


18勝12敗、完投14、完封3、勝率.600、奪三振126、防御率2.58。


江川に迫る好成績ではあるが、すべての数字で江川を下回っている。




「なぜだ???」




発表を聞いて、愕然とする江川。


当時は新聞記者による投票であったため、記者に嫌われていた江川が落とされた。




「沢村賞の人格に江川は値せず」




そういうことだったらしい。




こうした出来事があり、


1982年からは選考基準が作成され、


元プロ野球投手から構成される「沢村賞選考委員会」による選出となった。


 




しかし、江川が沢村賞を獲得することはなかった。


 


 


そして、江川の西本に対する意識が変わった。




(この項つづく)
























































































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