40歳から野球をやり始めた理由


小学生の時に田舎の少年野球に入っていた。親父は、野球に対して、反対していたと言うより野球の面白みを知らなかった。親の反対を強引に野球をやっていたのだ。当時の友達のY君は、キャッチャーだったのを見て、カッコイイと思い、キャッチャーの真似事を当時やっていたと思う。
補欠だったけど、もちろん、プロ野球選手になりたいのが夢だった。中学に入学して野球部に入ったが、さすがに小学生と中学生の球の速さは、違った。
恐くて辞めた。その後、草野球を軽くやるぐらいであった。城島健司に出会ってなければ、今、野球には、興味なかったであろう。
城島健司の物真似をやるだけじゃ物足りないので、野球選手の物真似をやるタレントを集めて、モノマネベースボールチームを作った。それも硬式でやると監督は、言った。
経験者は、ごくわずか。この時、40才。経験無いのに、130KMのマシンを使い練習をやる。
練習内容も今考えたらよく怪我人出なかったと思った。監督を信じてやった。今の練習とは、違った全くド素人の練習だった。
硬式の怖さを知らない練習だった。
特にキャッチャーは、その怖さを一番知る。
顔面に硬球が当たった怖さ、ファールチップの怖さ、親指のつき指の怖さ、股間が一番嫌ですね・・・・・・
たまたま仕事で日韓の硬式野球の仕事が入って来た。
元プロの選手を含め、経験者を何人か集めてやった。
ただ監督の意向で野球の練習よりもデモンストレーションの練習ばかりだった。野球の怖さを全く知らない監督だったのを思い出す。
元プロ野球選手が、びっくりしていた。よく硬式でやれるね〜怪我するどころかやばいよだって〜。一番感じていたのは、キャッチャーの僕だった。場所は、大阪ドーム!いざ試合になり試合経験もない僕は、先発キャッチャーだった。野球などのルールどころか、緊張で何もかも忘れてた僕は、パスボールをしてランナーを三塁まで進ませて、交代した。もちろん次の日は一切出場出来なかった。無茶苦茶な試合だった。そら1週間そこらで硬式の練習まともにやらないで試合て〜やばすぎです。
なんか悔しかった。もっと上手くなりたい。だから練習した。知り合いの草野球チーム、プロ野球選手、社会人クラブの選手などあらゆるところで聞き練習をした。バッティングセンターで80KMを当てられなかったのが、今は120KMで練習している。最初は、80、90、100、110と一年間かけて確実に打てる練習をした。知り合いで有名企業の元選手にマンツーマンでバッティングを教えてもらった。野球を上手くなりたい。あの時のパスボールが、頭から離れない。だから練習した。一日500球打ち込み、走り込み、大学野球など練習に参加した。でも辛くなかった。楽しくて楽しくてしょうがなかった。嬉しい事に今では、知り合いのチームにてキャッチャーで先発出場させてもらっている。
今は、キャッチャーの魅力に感激している。夢みたい話だがたかが物真似だけど城島健司に一歩でも近すぎたい。
40のおっさんでもやれば出来る。
それが去年、実現したジョー等プロに混じって試合が出来た。まだまだ下手くそだけどもっと上手くなりたい気持ちは、誰にも負けたくない。前に週間ベースボールで、野球は好きな人は多いけど野球が嫌な人も多いとコメントしたことがある。嫌になるのは野球じゃなく人だと思う。でも野球を嫌になって欲しくない。あれからモノマネベースボールチームは、解散してみな野球を辞めた。でも一人残っても野球を続けたい。ずっと!野球が上手くなるまでずっと!

城島健司がいたから野球を続けられる。
ジョーありがとう!いろいろ練習にお世話になって方々ありがとう!

まだまだ野球上手くなりますからよろしくお願いいたします。






















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