チーム愛が持てる人とそうでない人

草野球を15年やって来て思うのは、チーム愛がある人間と無い人間との違いがようやくわかったことかもしれない。チーム愛のある人間は「チームがあること、チームが存続している事への感謝がある。」という事で、チームの仕事にも率先して手伝ったり、チーム活動はもちろん、チーム行事にも積極的に参加をする人間だ。その反対にチーム愛の無い人間はすぐにわかる。自分のスタンスを崩さず、協調的な部分がなく、さらには自分がチームの仕事もしない癖にチームの運営方針に勝手に口を出す人間だ。私から言わせれば、そういう人間は「団体競技には不向き」だと断定できる。野球という競技はおもしろいもので、チーム愛があれば、自己犠牲ができる。自己犠牲の精神が根付いていれば、次の打者に回すことができる。自己犠牲の精神が選手のプレーの幅を広げてくれるわけで、そこには送りバント、進塁打、犠牲フライ、四球といった相手の投手のみならず、守備に就いている相手チーム野手の「守備の時間」を長くし、精神的、肉体的疲労を増幅させる可能性ができるという事だ。

 

大人の草野球においては、それが顕著であり、常に相手の隙を狙って相手をかきまわすという姿勢のプレースタイルができなければ、若い20代のパワー野球に勝てるわけが無い。それを40の後半になっても自分がいつまでも主役であると勘違いし、人のアドバイスを聞かずに自分の若き日のスタイルを追いかけている「痛いプレーヤー」は中年男で構成しているチームの中に必ず1人いるはずだ。そういう頭の固い人間に「良い結果」はついてくるはずがない。私は40代の中盤から後半まで打順で4番を務めていたが、50歳を迎えるにあたって、打順を「ビリ」という位置で通している。それは「チームメンバーファーストの精神」の表現であり、チームメンバーありきの私のチーム愛の象徴でもある。メンバーに私より多く打順を回してあげて、彼らに打席を楽しんでもらう機会を作ってあげて、私は後で良いとしているのだ。さらに私はいつも自分をDHにしている。守備の機会もメンバーファーストにしてあるのだ。私は裏方で良いし、メンバーに対しての感謝の念がいつか伝わってくれたら良いと考えている。

 

チームありきで考えていると、自分中心で考えている人間は、そういう組織単位で考えている人間の意見に対して自分の意見が「チームに響かない」ってことを知る機会が増えて来る。すなわち、大人と子供の考えの差に似たような感じになってくるのだ。これは草野球のチームのみならず、すべての組織に関して言える話だ。組織員が自己中心でやっている人間が先頭に立っていたら、必ずその人間の欲の出た「悪事」が出て来る。それに対して毅然と反対を申し立てられる人間は精神的にも強いはずであり、組織の風紀、規律などにおいての浄化に対してきちんと出来る人間であることは間違いない。チーム愛は組織愛であり、組織愛はニュートラルなポジションで派閥を作らないという事でもある。

 

全てにおいてチーム愛がある人は、チーム単位、チームありき、チームファーストが基本で継続ができる人であるが、孤独に自分の身を置かざるを得ないのである。理由は、チーム全体を見渡して見れば派閥などを作っている中に入るわけにはいかないからで、監督や代表である人間が派閥を作るような人間では間違った方向性に組織を運営して行ってしまう。監督は孤独でなければならない。そして監督にチーム愛がなければ、メンバーに対してチーム運営の方針を打ち出せない。すなわちチーム愛の無いチーム運営方針はすぐに水泡に帰すということである。

 

チーム愛の無い人間は自己中心的思考者であり、反省をしない人間である。

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