巨人生え抜き左打者列伝(王さんと松井の間)その1:淡口

 1/17の日記に過去の生え抜き左打ち強打者の名前を書いて懐かしくなったので,個人的な思い出を混ぜてそれらの選手の事を書いていきたいと思います.王さんより前の左打者はあまり知らないし,王さんについては私が書く必要はないでしょう.また,松井秀以降についても同様だと思うので,その間の打者を書くことにします.まずは淡口です.


淡口憲治,外野手(1952年生まれ,1970年ドラ3,三田学園高校卒,1971-85:巨人,1986-1989:近鉄)
 通算成績:1639試合4331打席,安打1076,本塁打118打点474,打率275出塁率334OPS758

 レギュラーをつかみかけたときに,張本が巨人にトレードで入ってきたことと,張本が衰えた後は吉村・駒田の台頭があったため,レギュラーを完全に手中にしたことはなかったですが,1974年以降は毎年100試合前後出場し1軍に定着していました.1985年に成績が低下した(90打席,本塁打1打点8,打率208,OPS554)こともあって近鉄にトレードされましたが,近鉄在籍1年目の1986年には成績を上げて(394打席,本塁打8打点38,打率297,OPS789)存在感を示しました.打球が速かったので,彼の打法を長嶋監督が,超音速旅客機:コンコルドにちなんで「コンコルド打法」と名付けました(いや,懐かしい).

 彼が台頭したのは巨人が,球団史上初めて最下位に沈んだ1975年です.最初は代打で驚異的な結果を出し,スタメンに抜擢されるようになりました.1965-1973年と巨人はV9を成し遂げ1974年も優勝を逃したとはいえ2位でしたから,物心ついたときから「強い巨人」しか知らない高校生の私は毎日が信じられない思いでした(*).そんな中で,淡口の活躍は慰めの一つでした.173cmと小柄でしたが,スイングが速く,はまった時の打球はピンポン球のように外野に飛んでいきました.原さんが1981年に巨人に入団したとき,キャンプでの打撃練習に対して「原の打球は確かに飛ぶが,迫力は淡口さんの方が上」という同僚選手のコメントが紹介されていたように思います.

 V9後の巨人の低迷期を支えた好選手でした.「代打:淡口」を告げる時の長嶋監督の身振りと共に,私にとっては思い出深い選手です.

*おまけ
 当時,私は友人と「巨人が最下位になったら丸坊主になる.」という賭けをして・・・丸坊主になりました.近所の散髪屋がおもしろがって,きちんと頭を剃ってくれました.これもまた,懐かしい思い出です.

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