2人のパーフェクト投手(旧:成城工業)

  • Mr.black
    2013年01月07日 14:42 visibility5815

大阪市城東区諏訪という場所に「大阪府立成城高等学校」があります。

 

 


春夏一度も甲子園に出ていないごくごく普通の公立校です。何故ここを訪れたのかというと旧校名でピンとくる方もいらっしゃるでしょう。

 


かつては「成城工業」という校名でした。

そう、あの野茂英雄投手の母校なのです。(以下、敬称略)


甲子園を夢見て強豪・近大附属のセレクションを受けた野茂。しかし結果は不合格。

「自分は甲子園を目指せるレベルの選手ではない」とガックリしたそうです。その後先輩の勧めもあって成城工業に入学。

野球部は普通レベルの同校。甲子園は遠く彼方でした。


彼が開花したのは社会人・新日鉄堺時代です。そして世間の注目を浴びたのは近鉄入団以降のこと。なので成城工業時代は「無名校の無名投手だった」というのが通説です。

 

 


しかし地元大阪では一度その名が大きく報じられたことがありました。それは彼が高校2年の時でした。(1985年)

この年の夏、大阪大会2回戦の生野(いくの)高校戦でなんと完全試合を達成したのです。公式戦2度目の先発でのこの快挙。これが後々新日鉄から誘われる要因になったそうです。

 


しかし、この成城工業にはそれ以前にも完全試合を達成した投手がいました。

野茂から遡ること6年前。山本雅昭という名前の投手が完全試合を成し遂げました。大阪大会2回戦、鳳(おおとり)高校戦でのことです。(山本投手はのちに社会人・大阪ガスに在籍)


予選とはいえ完全試合達成投手が2人も輩出された成城工業。不思議な感じがします。


しかしながら山本投手の時期は牛島・香川の黄金バッテリーを擁した浪商が話題を集めていました。

そして野茂投手の時期は桑田・清原のKKコンビが甲子園のヒーローになっていた頃です。

予選での完全試合はあくまでもローカルニュース程度の扱い。やはり成城工業(成城高校)は全国的には無名校でしかありません。

 


でもこういったごく普通の公立校の中からいつかまた日本を代表するような選手が輩出されるのではないか?そういう夢というかロマンを求めていきたいものです。


訪問時、グランドからは野球部のものと思われる打撃音が聞こえてきました。コンクリートの壁に阻まれて姿は見えませんでしたが、その音を聞きながら「第二の野茂」の出現を妄想していました。

昨今は有望選手のほとんどが私学の強豪校に行ってしまいますが、原石の輝きを秘めた無名の選手は必ずどこかにいるはずです。そういった選手が出てくるのが個人的な楽しみでもあります。


久しぶりのレポート。感覚を取り戻すためのリハビリ日記になりました。

なお、成城高校のある場所の地名は「諏訪」ですが、その由来は近くに諏訪神社があるからです。有名な信州の諏訪大社の分社だそうです。

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