消えた球場(15) 藤井寺 その2

  • Mr.black
    2010年11月16日 10:57 visibility2160

 

↑ リニューアル時に写真が横向きになってしまいました。

 

昨日は近鉄南大阪線を利用して藤井寺へと出かけました。この路線は時々利用するのですが、藤井寺駅に降り立つのは3年ぶりでした。
ここにはかつて近鉄バッファローズの本拠地、藤井寺球場がありました。
球団がオリックスとの統合によって消滅した後閉鎖され、解体。
そして跡地北側には現在四天王寺大学と四天王寺小学校が、南側にはマンションが建てられています。
(3年前に訪れた時にはこの建設工事の直前で更地になっており、その周囲を鉄の白い壁で覆われていました。)

駅から歩くと大学の手前に藤井寺球場の記念モニュメントが建ててありました。(写真)
野球帽を被った少年、少年が座っているのは大きな野球のボール、その下はおそらく藤井寺球場の外観をモチーフにしたであろう土台となっています。
その土台の右側には「Buffaloes」の球団ロゴが入っていました。(ロゴは最終形のもの。)
少年の野球帽にマークが入っているかどうかは下からでは確認できませんでした。

また、像全体の台座正面にはホームベースがデザインされ、台座右側には球場の簡単な歴史が書かれていました。

この場所の歴史を知らない人であれば近寄って見ない限りこのモニュメントがどういうものであるのか意味が分らないのでは?と思うくらい簡素で目立たないものでした。
出来れば往時の姿が写真パネルで掲示してあるとか、平和台のように球場そのものをデザインしたモニュメントでも造ってくれればいいのに、というのが正直な感想です。
何しろ藤井寺球場は70年以上もの歴史があった大阪府内でも屈指のスタジアムだったのですからね。寂し過ぎます。

佐伯オーナーの死後、親会社の球団に対する熱意や愛情が欠落した事実を物語っているようにも感じました。(このモニュメントは近鉄の寄贈。)
ちょうど見物していた時、そのモニュメントの前を下校の小学生の集団が通過していきました。
この子供たちの何人かがいつか高校野球でプレーするようになった時、ここにかつて野球場があったという歴史を振り返ることがあるのだろうか?とも思いました。
(そもそも球場跡地であると知っているかどうかすらあやしいですが・・・・・。)

(注): 藤井寺球場は高校野球大阪大会の会場でもありました。特に日生球場が閉鎖された後にはメイン球場になっていたのです。



モニュメントの台座正面のホームベース。
1928〜2005 と刻んであります。77年もの歴史があったわけです。



跡地の現状。
左は四天王寺大学、右が小学校。



球場南側は分譲マンション。

藤井寺はグランドは狭かったものの、六角形をしていて敷地全体は比較的広かったです。
なので写真のようにまだ空き地があります。いずれここにも何かが出来るのかもしれません。そうなればもはやかつてここが野球場だったということは完全に忘れ去られるでしょう。



近鉄「藤井寺駅」。
駅とその周辺は昔とはそれほど大きな違いはありません。

大阪南部の街にNPBの本拠地があった・・・・・。
全てが失われてもファンは決して忘れません。

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