皆勤校放浪記シーズン2〜米子東高

  • 仲本
    2011年07月31日 23:19 visibility1121


(皆勤校マニアにはすっかりおなじみの校名看板)
さて、米子の古戦場が湊山球場ならば、米子の古つわものは米子東高校をおいてほかにありません。今回の遠征を山陰に設定したのは当地の皆勤校を巡るという目的もあったためで、しつこいなあとお思いでしょうがお付き合い下さい。

米子駅からは山陰線と境線が分岐していますが、米子東高校はその二つの路線の間、分岐点からちょっと行ったところにあります。
以上、地図確認終わり(!)

いいんですかそんな簡単な、と思われるかもしれませんが、そこは信頼と実績の放浪記。遠征一日目で境線の車窓からたぶんあの辺だろうなと見当をつけていたので、二日目の朝、倉吉行きの列車に乗るまでの時間を使ってあっさりたどり着きました。いろいろなところで町歩きをやってると知恵がつきますね
(°□°;)

日曜日の朝9時前だというのに、いろんな部活の練習が早くも始まっていましたが…、













 


この学校、敷地の関係でグラウンドが3つあるのだそうです。野球部の使う第一グラウンドは校舎の裏手にあり、そこへ行くにはいったん校内に入らないといけないような感じでした。頑張って裏手に回ってみたものの。
とりあえず、敷地内にあるという在校生卒業生自慢の?山をご覧下さい(苦笑)




(手前のグラウンドが高校の敷地なのかどうなのかも怪しい。一応、ラグビーの練習をしてる人影がありましたが。)
野球部は全国大会で春準優勝、夏ベスト4が最高成績。1980年代あたりはちょこちょこと夏の甲子園に姿を見せていましたが、今年を含めて夏の鳥取大会は4年連続の初戦敗退。これは創部1900(明治33)年という長い部史始まって以来の低迷だということです。

なんといっても印象的なのは「若鮎」をイメージしたともいわれる白いユニフォームに緑に黄色の縁どりのついた胸マーク。ゆかりの慶応大と似たゴシック体で、これが夏の日差しの下では蛍光と見まがうような輝きを見せるのでした。初めて見たときは衝撃的でしたね。ただ、このユニフォームが採用されたのは戦後になってからのようです。

今回の鳥取遠征では見ることはかないませんでしたが、なんとか勝ち上がって再び甲子園に来てほしいものです。







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