甲子園出場校放浪記〜滋賀・八幡商(前)

  • 仲本
    2013年05月05日 23:23 visibility484

連休で時間的にゆとりがあるときに、滋賀・近江八幡に行ってきました。大阪から新快速で約70分とちょっとひまがかかります。まあ、彦根よりは近いです。

駅前には「近江商人発祥の地」と刻まれた石碑が立っています。琵琶湖東岸にある近江八幡は水運と陸運の中継点の一つとして戦国の終わり頃から町が整い、商業が栄えました。旧市街には古い商家が文化財として保存され、昔、城があった名残の堀も一部整備され公園のようになっています。近江八幡の駅から旧市街までは歩いて20〜30分かかるのでそこそこ距離はありますが。

八幡商業はちょうど駅と旧市街の真ん中あたりにあります。駅前から伸びる大通りをひたすらまっすぐ歩いていくと、右手にグラウンドが見えてきました。


外野からバックネット方向を眺めたところ。野球グラウンド+サッカーのミニゲームくらいならできそうな広さがあります。校舎はここから道一本隔てた奥です。背景に見える山のふもとに町の名前の由来である八幡宮があります。
グラウンドの一角には大きな雨天練習場もありました。このあたりも冬はたびたび雪が降るのでしょう。



野球部は戦後間もなく「八幡高校」として春の選抜大会に出場。その後校名が「八幡商業」に戻り、昭和30年代に2度選抜に出場しました。いずれもベスト8まで進んでいます。昭和37(1962)年には準々決勝で作新学院と対戦。0−0のまま引き分け再試合に持ち込むという健闘を見せました。

昭和37年の作新といえば史上初の春夏連覇達成チーム、延長18回引き分け再試合は春の選抜大会史上この一試合だけです。これほどの好ゲームを見せた八幡商でしたが、この時以降甲子園から遠ざかります。復活は昭和63(1988)年、悲願の夏初出場でした。

学校自体も明治19(1886)年創立という伝統校。滋賀県最初の商業学校として大津に開校しました。明治34(1901)年に近江商人の本拠地の一つである近江八幡の現在地に移転しています。

近江八幡に移って間もなくのこと、この学校に一人の青年教師がやってきます。ちょっと脱線になりますが、次回に続きます。



















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