皆勤校放浪記〜大阪府立市岡(後)

  • 仲本
    2010年07月22日 21:56 visibility262




(校舎横にはなぜかばかでかい椰子の木がにょきにょきと立っている。意外に南国ムード?)
さて、そもそも市岡を有名にした三本線の帽子だが、野球部史などによれば、秋の大会にお目見えしたのは実はこの1986年が初めてだったそうだ。それまでは伝統的に夏の大会前にOB会から帽子とユニフォームが贈られたため、夏の大会か定期戦でしかかぶらなかったという。「夏の市岡は三本線を巻いて強くなる」、古い大阪の野球ファンはこう呼びならわしたそうな。一方で「けったい(“へんてこ“という意味の大阪弁)な、桶みたいな帽子」とも言われたらしい。なるほど、鉄の輪っかが巻いてるようだというわけですな。

新チームによほど手応えがあったのだろうか、秋の公式戦にも三本線で出場させて欲しいと自らも市岡野球部OBだった監督が大OBにお伺いを立てた。
「特に規定があるでなし、それで勝てるというのならよいではないか」
…とたんに快進撃で、34年ぶりの甲子園である。げに帽子の御利益おそるべし。

放浪に戻ろう。グラウンドは大通りの裏側にある。野球部が練習しているような音が聞こえるが、残念ながらコンクリートの壁が高くて中は見えなかった。

前回の日記に載せた門のほかにもうひとつ門があり、今はこちらが正面らしかった。運動部の近畿大会出場の垂れ幕が一本掛かっていた。

硬式野球部は平成に入ってからも一度春の甲子園に出場。夏も大阪大会決勝まで進んだが、同じく選抜に出場したPL学園と対戦し、惜しくも敗れて夏の出場権を逃した。再び甲子園に出場し、祝いの垂れ幕は掛かるだろうか。全国大会出場は春10回夏11回。初出場の第2回夏の選手権で準優勝したのが最高成績だ。

界隈を散策し、再び大通りへ。弁天町駅と反対方向へ目を向けると、京セラドームの銀屋根が見える。ちょっと遠いが歩けない距離でもない。
ぶらり歩いているうちに日が暮れて、ドームの近くの橋のたもとから振り返ると、さっきいた西のほうの空が夕焼けになっていた。













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