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明石再訪~大いなる者、ここに眠る

(明石のシンボル、天文科学館の時計が正午をさす)

明石には何度も訪れて日記にしている。高校野球の兵庫大会(硬式)、全国大会(軟式)が明石公園野球場で行われているからだ。球場のある明石公園は駅のすぐ北側。

 

駅の南側にはあまり行かないが、いつのまにか再開発が一段落したらしく、駅のホームから南側を望むと今はこんな感じになっている。早々にノルマ終了。というより、明石商業は春の選抜に初出場を決めたときに訪れている。

https://labola.jp/blog/user/82432/2993845003

あまり出来のよくないレポートではあった。明石駅よりもう少し先の駅で降り、そこから延々と雨の中を歩いた記憶がある。今回やってきたのは、今年の初めに書店に並んでいたこの本を買ってきて読んだからだ。

 

(以下、基本的に「馬場」と呼び捨てで表記しますがご容赦を)

ジャイアント馬場。1938年生まれのプロレスラー。とはいえわたしはプロレスには全く詳しくない。雑学としてレスラーに転じる前にプロ野球・巨人軍に所属していたということは知っている。野球ネタとしてここで取り上げるべき本は、野球時代の馬場正平を描いた『巨人軍の巨人 馬場正平』(広尾晃/2015/イースト・プレス)であり、図書館で借りてきて読んだ覚えもあるのだが。

 

ある年代以上の日本人なら知らない者はいないだろう、というほどの有名人だ。しかしわたしにはどちらかというとCMやクイズ番組に出ていた人、というわずかな記憶しかない。要はレスラーとしての全盛期を知らなかった。本のタイトルは1964年の、となっているが、内容は生涯にわたっての評伝だ。プロレスファンなら先刻ご承知のことであっても、わたしにとっては初めて知ることも多く、非常に楽しく読んだ。

 

で、話はようやく明石につながる。今ちょうど各球団が春のキャンプを張っている。シーズン前の調整は温暖なところで、という売り込みもあって沖縄が主流だが、昭和30年代はあまりそういうことは気にしていなかったと見えて、ここ明石球場でキャンプを張る球団もあった。二軍選手として馬場正平が所属していた巨人軍もその一つだ。地元の後援者が選手を招いて食事などをふるまった。後援者の娘は、やがて馬場の生涯の伴侶となる。

 

運動能力は高かったが、野球では長身を利して活躍とはならなかった。小さな故障がもとで巨人軍をクビになると、名将・三原監督が率いることになった大洋にテスト生として拾われた。チームは移ったが春季キャンプで再び明石に戻ってきた。しかし宿舎での事故で腕に大けがを負い、プロ野球選手としてのキャリアはここで断たれた。

(ちなみに明石と大洋との関係についてはこのあたりも参考に)

https://labola.jp/blog/user/82432/6378779

https://labola.jp/blog/user/82432/6471700

 

馬場はプロレスリング界に転身、武者修行先のアメリカで「東洋の大巨人」として好評を博し…、とここからの話が本筋なのだが、野球ネタではないのでここでは全部すっ飛ばす。

 

そもそもジャイアント馬場があのような巨体になったのは、巨人症と呼ばれる成長ホルモンの分泌異常によるものとされている。その分、肉体の衰えも常人より早まる傾向にあるという。わたしがレスラー姿をたまたまTVで見たのは選手としての晩年。「なんだかずいぶん細いなあ」と思ったのはそのせいだったのだ。

 

明石公園内、野球場に向かう道の右側には大きな芝生の広場がある。その一角に阪神・淡路大震災を後世に伝えるための石碑が立っている。建立は明石ロータリークラブ、寄贈は馬場率いる全日本プロレスリング株式会社と刻まれている。夫人の実家があった明石も大きな被害を受けた。震災直後は支援活動に向かい、興行の収益を義援金に充てたが、馬場の名前は出さないようにとの希望だった。右側の石碑の高さは209cm。これは馬場の身長と同じにしてある。

 

一人で野球を見に来た時には試合が終わればさっさと帰るのでここに立ち寄ることはなかったが、そういえば高校軟式大会で3日がかりの延長50回という試合の決着を見に行ったときのことだ。

https://labola.jp/blog/user/82432/781755000

このときは東京時代に所属していた草野球チームの代表さんと一緒に観戦した。帰りの時間までまだあるからと公園内を散策し、携帯でこの碑の写真を撮っていた。なにかと博学な彼のこと、このエピソードを知っていたのかもしれない。わたしはこの本を読むまで知らなかった。

 

1999年、61歳でこの世を去った馬場は、自らの墓所を夫人の故郷・明石と定めていた。遺骨が墓に入ったのは2018年、夫人が世を去ってのち一緒に入れられた。明石公園から東、東経135度の子午線の通る天文科学館へ向かう道すがらにある寺の墓地だ。

 

本堂の前庭でほころびかけた梅に誘われて、というていで寺の中に入ってみた。本堂の右から裏手に回ると墓地がある。ことさらに自分を大きく見せようと飾る必要のない人だったから、墓は周りのものと同じくらいの大きさだ。

 

しかし、訪ねてくるファンへのサービスのためだろう。墓石に向かって左側に、顔と手足が大きくデフォルメされたイラスト(よく知らないがプロレス会場でこうしたイラストが描かれたグッズが売られていたのかもしれない)が刻まれた石材があり、右側には天下に名高い十六文のリングシューズをかたどった装飾が置かれていてそれとわかる。馬場さんの本読みました、と念じつつ手を合わせた。

 

(最近の新刊本には、だいたいこういう帯がついている。でもこれ見たら、大谷翔平のことだと思って手に取る人もいるだろうね(販売戦略))

参考:『1964年のジャイアント馬場』柳澤健/2019/双葉文庫

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