野球読書日記「たかが江川されど江川」

  この本は私が中学3年の春休みに飛騨高山に旅行に行った時に電車の中で読みました。まだ本棚の中にあります。実に30年も持っていることになります。蔵書の中でも有数の古さです。

 私は昭和50年生まれなのですが、江川卓さんの現役時代後半はテレビで見ています。昭和62年秋の引退は衝撃でした。「まだ投げられるのに何故?」という思いでした。その頃から私は阪神ファンでしたが、巨人のエース江川さんがいなくなって嬉しいはずがない。

 しかし、この本の中で法政大学2年の疲労骨折以降、江川さんが自分の意識の中で既に「軟投派」に転向していたことが明かされます。

 20才以降の野球人生はベストではない自分を感じながらの葛藤の日々だったことでしょう。

 逆に高校卒業と同時にプロ入りし、故障なく過ごしていれば江川さんはどれほどの成績を残していたでしょう。

 

 私が思うにこの本の面白さは江川さんが語る野球よりも、グランド外の人間ドラマにあるような気がしてなりません。

 「息子をプロ野球選手にする」という父二美夫さんの立てた目標の下に厳しくも大切に育てられた江川さんが、自分の家族や親戚を大事に考え行動する数々の描写は、時に「勝負の世界」に生きる男のそれとは思えないような印象を与えます。江川さんの本音は、家族や身内のために戦い抜いた野球生活だったのではないでしょうか。

 また、球界の先輩や仲間とのエピソードも興味深く、我々が知る選手の人間性がわかる逸話が散りばめられています。私が最も心をうたれたのは、江川さんと小林繁さんの知られざる出来事でした。言うまでもなく二人は江川さんの巨人入団をめぐる一件の当事者同士です。抜粋します。

 

「あのドラフトから一年ちょっとたった昭和五十五年一月、この試合からさかのぼること七 カ月前に、飯倉のステーキ店で、実は、偶然小林さんに会っている。 僕は女房とカウンター に座っていた。すると、食事を終えた小林さんが、奥の席から出口に向かって歩いて来た。

そして、目があってしまったのだ。

これにはまいった。 体が硬直して、言葉もでなければ、会釈も何にもできなかった。 『あの時は、本当に文字通り、タクは石になっていたわ』 今でも女房には、そうからかわれるが、あの時はそれどころではなかった。先輩に挨拶で きなかったのは、これまでの人生であの一回きりだ。それほどの負い目を、僕が小林さんに感じていた証拠でもある。 だんだん小林さんが近づいてくる。動けない。 しゃべれない。僕のうしろまで来た。何か言われるだろうか…···· しかし小林さんは、なんにも言わないで、僕の背中から肩に手を置いて、ほんの少し笑 んで出ていった。許してもらえたとは思わなかった。でも、少し気持ちが楽になったことも事実だ。

『小林さんて、本当にいい人なのね』 涙ぐみながら女房は言った。いい人じゃなければ、逆にもっと楽だったのにそんな気 持ちさえあったと思う。僕も黙って頷いたのをよく覚えている。 だから、どうしても勝ちたかった」(116~117頁)

 

 小林さんは本当に思いやりがあり、胆のすわった人物であったことがわかります。

 

 江川さんが引退されて35年。いまだに指導者としてユニフォームを着ないままの年月が過ぎています。大変残念なことに思えます。実は周りが想像するほどご自身はユニフォームを望んでいなかったのか?周りには知り得ない指導者への転身を許さない事情があったのか?それは分かりません。

 この本の最後に収録された親しい記者3人との座談会では、監督に就けない自身の未来を予見するような発言もあります。今、改めて読むと大変興味深いです。30年以上この本を残しておいて良かったと思いました。

 

 

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