私の感動した話

日本代表ってなればサッカー以外のスポーツでも(野球、フィギア、バレー、ゴルフ、ラグビー・・・etc)同じくらい応援してしまいます。特に先日のWBCはよくぞやってくれた、感動でした。

今、世界卓球2009の真っ只中。
卓球って地味な感じという印象しかないのですが結構見ごたえあり手に汗握る攻防が面白かったりしてちょこっと注目している。

今日、ダブルス女子の対戦相手がトルコでした。トルコって親日の国って知ってましたか?(日韓のW杯でも対戦したあのトルコ!)私自身も知らなかったんですが、あるラジオ番組(朝仕事中によく聞く番組)であるエピソードを聞いて鬼の目にも(大阪の草サッカーチームFCガッツのチームでは鬼である私)思わず涙が・・・?!それをトルコの人にとっては忘れない当たり前の話。歴史として学び伝えている・・・!この話を知って対戦している日本人が知っておいて・・・しかるべきこと?だと!

”実はこのことを日本政府もマスコミも全く知らなかったのです・・・。”

”何年も前のわずかな救助活動を 今もトルコの人たちは忘れていません。”


日本人としても世界人としてもこういう歴史こそもっと知りたいし学ぶべきことじゃないかなと。

そのごっついエピソード(今回はスズキハッピーモーニングの「鈴木杏樹のいってらっしゃい」からそのまま引用させてもらいました。)を知っていてほしいかなと。ふと思い余って久々の更新。





 

昭和60年3月17日、
イランに住む日本人を絶体絶命の危機が襲います。
その危機を救ってくれたのはトルコの人たちでした。


それは当時のイラクのサダム・フセイン大統領が
世界に向けて言ったこの言葉から起こりました。

「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ
 すべての飛行機を撃ち落とす。」

当時イランにはたくさんの日本人が住んでいました。
すぐに日本人は空港に向かい、イランを脱出しようとしました。


でも、どの飛行機も満席で乗ることができなかったのです。


タイムリミットまでまもなく1時間。
空港にいた日本人はパニック状態になっていました。


すると、そこに2機の飛行機が到着しました。


それはトルコ航空の飛行機でした。
飛行機は空港にいた日本人250人全員を乗せて
成田に向けて飛び立ちました。

こうして間一髪で危機を乗り越えることができましたが、
なぜトルコ航空機が来てくれたのか、
実はこのことを日本政府もマスコミも
全く知らなかったのです。

その真相を当時の駐日トルコ大使はこう語っています。

「1890年、和歌山県の串本町で起きた
 エルトゥールル号の遭難事故に際し、
 村の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を
 今もトルコの人たちは忘れていません。
 私も小学校の頃歴史の教科書で学びました。
 トルコでは子供たちも
 エルトゥールル号のことを知っています。
 今の日本人が知らないだけです。
 それで、イランで困っている日本人を助けようと
 トルコ航空機が飛んだのです。」


恩返しだったんです。
いったい何の恩返しだったのか、
次に、その遭難事故のお話を書き込みますね。


今から117年前、明治23年9月16日、
和歌山県の串本町を台風が襲いました。
そのとき一艘の大型船が遭難しました。
そんな遭難した人たちを救おうと
村の人たちは必死で救出作業をしました。


灯台の灯り以外は見えない嵐の夜の海。
灯台守は大きな船が岩に激突して
爆発する音を聞きました。

急いで灯台の下に下りると
傷ついた一人の船員が倒れていました。

「あなたのお国はどこですか?」

と聞きましたが言葉が通じません。

やがてこの船員がトルコの人でエルトゥールル号
というトルコの船であることがわかりました。
さらに多くの船員が海に投げ出されたことを知りました。

さっそく灯台守は救出のために
真っ暗な夜の道を走り村の人たちに助けを求めました。
村の人たちは総出で救出作業をしましたが、
500人以上もの人が命を落としていきました。

それでも1人でも命を救おうと
村の人たちは裸になって船員たちの体温を温め、
必死に励ましの言葉を投げかけました。

そんな思いが通じて69人が息を吹き返しました。
助かった69人は村のお寺と小学校に収容されました。

しかし、当時村は貧しくて
おまけに台風で漁ができなかったので、
食料がどんどんなくなっていったのです。
そんな状況の中でも村の人たちは
69人のトルコの人たちを助けたい思いでいっぱいでした。

当時それぞれの家では非常食として鶏を飼っていました。
でも、鶏を食べてしまったらもう完全に食べ物はありません。
それでも村の人たちは鶏を料理して
トルコの人たちに食べさせてあげたんだそうです。

このお話は和歌山県知事に伝えられ、
明治天皇にも報告されました。
明治天皇はすぐに串本町にお医者さんを派遣し、
生存者全員を軍艦に乗せてトルコに送り届けました。

この話は日本中に大きな衝撃を与え、
全国から善意のお金が寄せられ
トルコにいる遭難者の家族に届けられたそうです。


このような歴史があったことを、日本人である私は
知っていたような知らなかったような・・・


トルコの人たちは、日本と友好的という理由がわかりました。


ずっと伝えていきたいと思った、
本当にあった心温まるお話です。


PS.鈴木杏樹さん応援ブログより

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