大分県 津久見高校 

津久見市(つくみし)は、大分県の東海岸に位置する市である。大分県の市の中では、最も人口が少ないが、面積が狭いため人口密度は、別府市、大分市に次いで3番目に高い。町と島を含めると、別府市、大分市、日の出町、姫島村に次いで5番目。

 

人口は2015年現在17,969人と過疎化の道筋をたどっている。

 

大分県の県庁所在地である大分市から南東約30キロメートルの場所に位置する。東側は豊後水道に面して、豊後水道の一角を占める津久見湾を三方から囲む形となっており、湾の南側にある四浦半島の北半分と、北側にある長目半島の南半分を市域に含む。また、豊後水道上の保土島、地無垢島沖無垢島をも市域としている。

 

津久見市は基本漁業と農業がメインで有るが、市の産地では石灰岩が産出され太平洋セメントの工場もある。

 

そんな津久見高校は大分では大分商業、佐伯鶴城高校と地元大分県の高校野球ファンの人気を分け合ってき。

大分県立津久見高等学校(おおいたけんりつ つくみこうとうがっこう)は、大分県津久見市大字津久見にある公立高等学校である。

 

偏差値は41~44で大分県内で公立で52位、全体では71位である。

 

津久見高校は1952年(昭和27年)第34回選手権大会に初出場。

一回戦松山商業に4対10と大敗した。

 

のちの1967年(昭和42年)第39回選抜大会で初出場で決勝で高知高校を破り紫紺の大旗を掴んだ。

エース吉良のドロップが冴えわたった大会で有った。

戦歴は以下の通りである。

○3-2 倉敷工
○2-0 岐阜商
○2-1 報徳学園
○2-1 高知

 

その後も津久見高校は何回か甲子園へ出場する。

そして名将小嶋仁八郎の集大成は春夏頂点へ立つことである。

 

迎えた1972年(昭和47年)第54回選手権大会で水江投手や主将吉近等の田舎くさいが気迫のある選手が活躍し

決勝では冷静沈着な柳井高校の杉本を攻略し3対1と勝利し昭和42年の春の選抜に続いて5年後の夏有終の美を味わったのである。

 

津久見高校

選抜6回出場で8勝5敗(優勝1回)

選手権大会12回出場で16勝11敗(優勝1回)

 

その津久見高校も1989年第70回選手権大会出場して以来甲子園へ登場していない。

復活を願ってやまない!

 

(優勝して喜びを爆発させる水江投手と安達捕手)

 

 (力投する柳井高校の杉本投手)

 (第54回選手権大会の決勝戦の結果)

 (津久見高校を長年率いた 名将 小嶋仁八郎監督)

 

 

                                       終わり

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