プリンス 原辰徳を破った男達

春分の日の午後いかがお過ごしでしょうか?

デジカメを購入したおかげてカメラの解像度が上がりブログに写真を挙げるのも楽です。

さて我々の世代と言えば少し前で有るが怪物 江川卓、そしてプリンス 原辰徳が人気者として甲子園では注目を集めた。

 

原辰徳は福岡県三池市出身でお父上はご存じ三池工業、東海大相模、東海大の野球部の監督を歴任したあの原貢であることはあまりにも有名である。

 

原辰徳は父親と親子鷹で4回甲子園へ出刃場している。

1年夏、2年春、2年夏、3年夏の4回である。

 

1年夏の1974年(昭和49年)第56回選手権大会で有る。

一回戦は土浦日大高校のジャンボ工藤を延長戦の上3対2で下し、盈進高校も撃破し準々決勝であの定岡の鹿児島実業との一戦延長戦の末4対5で敗れ去った。

○3-2 土浦日大
○13-6 盈進
●4-5 鹿児島実

 

2年春の1975年(昭和50年)第47回選抜大会である。

一回戦で倉敷工業を僅差で破ると豊見城高校には9回裏2アウトからサヨナラ勝ち、堀越学園も下し決勝は高知高校との壮絶なる打ち合いの末延長13回5対10と大敗し準優勝

○1-0 倉敷工
○2-1 豊見城
○6-2 堀越
●5-10 高知

 

2年生の夏は松商学園戦では4番津末の豪快な本塁打などで勝ち上がり三重高校も撃破。

しかしながら野本喜一郎率いる上尾高校に逆転で4対5で敗れる。上尾高校今投手の粘投が光った試合で有った。

○5-3 松商学園
○7-3 三重
●4-5 上尾

 

3年生の夏も甲子園へ出場

釧路江南高校には5対0で完勝したが、二回戦では選抜準優勝の小山高校のエース黒田の老獪な投球術にハマり

0対1で完敗 原辰徳の3年間は終わった。

○5-0 釧路江南
●0-1 小山

 

結局3年間の親子鷹での甲子園出場も頂点を勝ち取るまでは行かなかった。

だからこそ、原辰徳はプロでも息の長い選手として活躍できたのではないのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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