巨星逝く(元法政大学監督五明公男)
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篠山鳳明
2019年03月03日 15:41 visibility3212
ここ常陸の国水府地区も日に日に春の音連れを感じさせる季節になってきました。
家の近くの武田神社の梅の花も丁度今が見頃です。
水戸と言えば偕楽園、梅まつりの最中です。
それが終われば5月はネモフィラの季節です。
さて第91回選抜高校野球も平成最後の大会になります。
平成最後の大会でどこが紫紺の大旗を手に入れるのでしょうか?
私は前回横浜高校と予想しましたがその意思は今でも変わりません。
さて昨日訃報が入りました。
あの元法政大学野球部監督の名将五明公明が亡くなられました。
五明氏は1943年8月21日、東京都生まれ。法政二高(神奈川)では“バントの名人”の右翼手として、 柴田勲(元巨人)らとともに61年センバツ優勝、同年夏の甲子園4強に貢献。法大に進学し在学中に3度のリーグ戦Vを成し遂げた。
71年に27歳の若さで松永怜一氏から法大監督の座を継承。江川卓(元巨人)らを擁し、7年間の在任で東京六大学リーグ6度の優勝を達成した。76年春から77年秋にかけては全校から勝ち点を挙げる、リーグ史上唯一の「完全4連覇」を達成。78年に退任後は教授も務めるなど、14年3月まで母校の教壇に立ち、野球部OB会長としてもチームを見守っていた。
1974年は江川始め高校野球の甲子園で活躍したスター選手が続法政大学へ入学
作新学院→江川
静岡高校→植松、水野
広島商業→金光、楠木、佃
箕島高校→島本
などそうそうたるメンバーが法政大学の門をたたいた。
五明からすれば江川初め、中林、鎗田投手など好投手が多かったし、打撃も金光、楠木、島本などのスラッガーがいて得点力も高く他大学からすれば勝てる気がしなかったであろう。
五明自身も法政二高時代に田丸仁、松永怜司両名から野球の基本を教えられそれを後世に語り継いできた。
原因は大動脈解離ということであるが、75歳という余りにも早すぎる別れである。
最近野球会での訃報が相次ぐ、
1月21日に拓殖大学紅陵高校元監督小枝守さんが67歳で亡くなった。
昨年の12月22日には銚子商業高校元監督斎藤俊之さんも59歳という若さで亡くなっている。
今回選抜へ出場する習志野高校の小林徹監督もインタビューの中で言っていたが「千葉の偉大な指導者が2名お亡くなりになった、この選抜はその方たちの為にも無様な試合はできない」と言っいたのが印象に残っている。
以上。
(完全優勝4連覇をした後インタビュー応じる法政大学 五明公男監督)
以上です。
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